・・・彼女は奇異の思いをしながらそれを眺めていた。春の月は朧ろに霞んでこの光景を初めからしまいまで照している。 寺院の戸が開いた。寺院の内部は闇で、その闇は戸の外に溢れ出るかと思うほど濃かった。その闇の中から一人の男が現われた。十歳の童女から・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 十 その中に最も人間に近く、頼母しく、且つ奇異に感じられたのは、唐櫃の上に、一個八角時計の、仰向けに乗っていた事であった。立花は夢心地にも、何等か意味ありげに見て取ったので、つかつかと靴を近けて差覗いたが、もの・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・……トこの奇異なる珍客を迎うるか、不可思議の獲ものに競うか、静なる池の面に、眠れる魚のごとく縦横に横わった、樹の枝々の影は、尾鰭を跳ねて、幾千ともなく、一時に皆揺動いた。 これに悚然とした状に、一度すぼめた袖を、はらはらと翼のごとく搏い・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・使いしやらむ、浴衣涼しく引絡い、人目のあらぬ処なれば、巻帯姿繕わで端居したる、胸のあたりの真白きに腰の紅照添いて、眩きばかり美わしきを、蝦蟇法師は左瞻右視、或は手を掉り、足を爪立て、操人形が動くが如き奇異なる身振をしたりとせよ、何思いけむ踵・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・巌本撫象が二葉亭は哲学者であるといったのを奇異な感じを以て聞いていたが、ドストエフスキーの如き偉大な作家を産んだ露国の文学に造詣する二葉亭は如何なる人であろうと揣摩せずにはいられなかった。 これより先き、私はステップニャツクの『アンダー・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 遙かに、紀伊の山々が望まれた。海の上を行って、五十里はあれど百里はあるまいと思うと、学校時代に最も親しかった、たゞ一人の友のいる国の山が見えるのに、此処まで来て其の友に遇わずに帰るのが悲しくて、また、何時か来られるか分らないのにと思う・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・どうして私がそんな奇異なことを思ったか、それを私は今ここでお話しようと思っています。それはあるいはK君の死の謎を解く一つの鍵であるかも知れないと思うからです。 それはいつ頃だったか、私がNへ行ってはじめての満月の晩です。私は病気の故でそ・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 忠臣という言葉は少し奇異に用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃なんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ これらの中、キリシタンの法は、少しは奇異を見せたものかも知らぬが、今からいえば理解の及ばぬことに対する怖畏よりの誇張であったろう。識神を使ったというのは阿倍晴明きりの談になっている。口寄せ、梓神子は古い我邦の神おろしの術が仏教の輪廻説・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ その日の談話は以上の如く、はなはだ奇異なるものであった。いくら黄村先生が変人だといっても、こんな奇怪な座談をこころみた事は、あまり例が無い。日によっては速記者も、おのずから襟を正したくなるほど峻厳な時局談、あるいは滋味掬すべき人生・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫