・・・教授用フィルムに簡単な幻燈でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授は、世界漫遊の生きた体験にも似た活気をもって充たされるだろう。そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼の当りに経験すれば、それまでとはまる・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・それによると、S先生は子供の頃夏目先生の近所に住まっていていわゆるいたずら仲間であったらしく、その当時の色々ないたずらのデテールが非常に現実的に記載されているのであった。 夏目先生から自分はかつて一度もその幼時におけるS先生との交渉につ・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・舗道をあるくルンペンの靴音によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。 このような音のモンタージュは俳諧には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・その三〇として記載されたものがある。「昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰がない、根拠の無き話かと思えば、「土佐今昔物語」という書に、沼澄(鹿持雅澄翁の名をもって左のとおりしるされている。孕の海にジャンと唱うる稀有の・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
近代の物理科学は、自然を研究するための道具として五官の役割をなるべく切り詰め自然を記載する言葉の中からあらゆる人間的なものを削除する事を目標として進んで来た。そうしてその意図はある程度までは遂げられたように見える。この「a・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・遺憾ながらそのシガーの大きさや重量や当日の気温湿度気圧等の記載がない。この競技は速度最小という消極的なレコードをねらうところに一種特別の興味がある。できるだけのろく燃えるという事と、燃えない、すなわち消火するという事とは本質的にちがうのであ・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・書物の記載も、見取り図も至極簡単であるからやむを得ない。 そういう場合における品種鑑別の正確度に関する疑いをいっそう強められるようになったのは、非常によく似ていて、しかも少しずつちがうというような草の種類が非常に多いという事実に気がつい・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・このようにして記載的博物学の系統が芽を出し始める。 分類は精細にすればするほど多岐になって、結局分類しないと同様になるべきはずのものである。しかしこの迷理を救うものは「方則」である。皮相的には全く無関係な知識の間の隔壁が破れて二つのもの・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・その結果として、あらゆる描写記載にリアルな、生ま生ましい実感を求めることが困難である。馬琴自身の自嘲の辞と思われる文句が『胡蝶物語』にある。「そなたのやうな生物しり。……。唐山にはかういふ故事がある。……。和漢の書を引て瞽家を威し。しつたぶ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・そのうちに、ニコルをやけに急激にねじ回していると、なんだか、時々ぱっぱっと動くものがあるような気がするので、それに注意を集注して見ると、なるほど、ちゃんと書物に記載してあると同じようなものが見える。いや、見えていたのである。一度気がついてみ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫