・・・特に弘道会という国粋的な道徳団体を創った人として、物心づいてから私たちの生活の中へあらわれて来る祖父の名は、私たちにとってしたしいうちのお祖父さんと云うよりもいつも一人の道学者めいたきつい印象を伴った。大きい墓にも西村泊翁という下に先生之墓・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・お母さんの音とお父さんの秀の字とを含んで少し女にはきつい字ですが、それもよいでしょう。」この一句は、無量の思いをつたえる。愛のこころはこのように小粒な、しかも歳月によって磨滅することのない表現のうちにこめられているのである。涙は眼に溢れるけ・・・ 宮本百合子 「人民のために捧げられた生涯」
・・・潮のきつい海の上で当人は一生懸命こっちへ向っていい気持に漕いでいるつもりだのに、数刻経て見たら、豈計らんやかくの如き地点に押し流されて来ていた、という場合が決して少くない。昨今従来のタイプの作家が主観的であるという特質は、時代的底潮によって・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
私たちの日常生活のなかにある美しさというものも、今はなかなかきつい風に吹かれているのではないだろうかと思う。 日々の生活にあった日本の美しさの隅々が変化をうけつつある。たとえば家の障子というものの感覚は、私たちの感情に・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ 三 風がきつい。石油が細いピストンのようなものの間から吹き出して、私のブラウズの胸にかかった。おやと云っているまにもう風に散らされ、しみが微かにのこったばかりである。汲出櫓の上に登っているのであるが、右手・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・その部分では高見順はまるで縷々として耳をつらぬき、心をつらぬかずんば、というような密度のきつい表現をしている。それはいくつもの響の調和された、幅のある音でなくただ一本のヴァイオリンの絃が綿々として身をよじっているんです。そういうふうな身のよ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・実生活のあるきわどい瞬間に画家の眼に烙きついた印象を生かすほかはないのである。そうしてそれは洋画家にとって困難であるわりに、日本画家にとっては困難でない。もとより洋画家の内にもこの事に成功した名人は少なくないが、――そうして洋画によって成功・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・この言葉は今でも自分の耳に烙きついている。先生は別にそれを強めて言ったわけでもなければまた特に注意をひくような身ぶりをもって言ったわけでもない。が、その言葉には真実がこもっていた。そうして我々はまざまざとその味わいを会得することができたので・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
・・・わたくしは農村に生まれて、この歌集に歌われているような風物のなかで育ったものであるが、幼いころに心に烙きついたまま忘れるともなしに忘れ去っていたさまざまの情景を、先生の歌によって数限りなく思い出した。たとえば、蓮華草この辺にもとさが・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・三 私は痛苦と忍従とを思うごとに、年少のころより眼の底に烙きついているストゥックのベエトォフェンの面を思い出す。暗く閉じた二つの眼の間の深い皺。食いしばった唇を取り巻く荘厳な筋肉の波。それは人類の悩みを一身に担いおおせた悲痛・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫