・・・ この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。 仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。面はいつの間にか伸びている。「失礼ですが、ちょっと伺います――旅のものですが。」「は、」・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・会う機会を得た作家は、会うた順に言うと、藤沢、武田、久米、片岡、滝井、里見の諸氏。最近井上友一郎氏に会い、その大阪訛をきいて、嬉しかった。 小説の勉強をはじめてからまだ四年くらいしか経たない。わが文学修業はこれからである。健康が許せば、・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・俳優のうちに久米五郎とて稀なる美男まじれりちょう噂島の娘らが間に高しとききぬ、いかにと若者姉妹に向かっていえば二人は顔赤らめ、老婦は大声に笑いぬ。源叔父は櫓こぎつつ眼を遠き方にのみ注ぎて、ここにも浮世の笑声高きを空耳に聞き、一言も雑えず。・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 久米の仙人に至って、映画もニコニコものを出すに至った。仙人は建築が上手で、弘法大師なども初は久米様のいた寺で勉強した位である、なかなかの魔法使いだったから、雲ぐらいには乗ったろうが、洗濯女の方が魔法が一段上だったので、負けて落第生とな・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 一方では玉の巵に底あることを望んだり、久米の仙人に同情したり、恋愛生活を讃美したりしているが、また一方ではありたけの女性のあらを書き並べて痛快にこき下ろしているのである。一種の弁証法を用いたのであろう。 色を説いた著者はまた第二百・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出身の文学者であった。けれども、漱石は大学の教授控室になじめなかった。「大学の学問」について疑問を抱いていた。博士号をおくられたときは、それをことわった。 日本の戸籍と、公文書か・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・菊池寛、久米正雄氏等の間では二十円会とか三十円会とかいうのがあるそうである。十円がもすこし育って二十円という、通俗人の望みの影さえさしていて、面白い。 特に、この三十歳を越して四十との間にさしかかっている作家たち、十円会あたりの人々が主・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・そして、ジャーナリズムもこの時代に一つの経済的な飛躍をとげ、菊池寛、久米正雄というような作家たちを通俗作家として出発させ、円本が売れた。一つの画期をなした時代であったが、読者というものはあの頃、どんな角度で現れていたのだろう。 大戦前後・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・ 尾崎士郎氏は、作家としてリアリストであるよりはロマンチストであるが、この作家は嘗て久米正雄氏が純文芸とは私小説にほかならないとした言葉をとり、日本の近代文学に現れた「私小説」というものが、横光氏の説く如く古来の日記・随筆の文学形式の発・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・等を生んだ菊池寛は、その作家としての特色の必然な発展と大戦後の経済界の膨脹につれて近代化したジャーナリズムの吸引によって、久米正雄と共に既に大衆文学へ移っている。さりとて上記の作家達が『文芸戦線』の文学運動に身を挺するには、その文学理論が納・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫