・・・ もし誰かがカントを引ぱり出して寄席の高座から彼のクリティクを講演させたとしたらどうであったろう。それは少しも可笑しくはないかもしれない、非常に結構な事ではあろうが、しかしそれがカントに気の毒なような気のするだけは確かである。 私は・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・(改造社俳句講座第七巻、後藤 季題の中でも天文や時候に関するものはとにかく、地理や人事、動物、植物に関するものは、時を決定すると同時にまた空間を暗示的に決定する役目をつとめる。少なくもそれを決定すべき潜在能をもっている。それで俳句の作者・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 二 俳句の精神とその修得の反応 この講座の編集者から私は「俳句の精神」という課題を授けられた。この精神とは何を意味するか私にはよくわからない。たぶん「わび」とか「さびしおり」とか「風流」とかいうことの解説を要求され・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 一八七一年に、ケンブリッジに新設されたキャヴェンディッシ講座に適当な人を求める問題がおこった。その時レーリーからマクスウェルに送った手紙を見ると、ウィリアム・タムソンは決定的に辞退したから、是非ともマクスウェルが就任してくれるようにと・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・抽斎の子は飛蝶と名乗り寄席の高座に上って身振声色をつかい、また大川に舟を浮べて影絵芝居を演じた。わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・わたくしは帳場から火種を貰って来て、楽屋と高座の火鉢に炭火をおこして、出勤する芸人の一人一人楽屋入するのを待つのであった。 下谷から深川までの間に、その頃乗るものといっては、柳原を通う赤馬車と、大川筋の一銭蒸汽があったばかり。正月は一年・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。なぜだというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうして・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・しばらく休んで次の講座で述べるといたす。 南無疾翔大力、南無疾翔大力。 みなの衆しばらくゆるりとやすみなされ。」 いちばん高い木の黒い影が、ばたばた鳴って向うの低い木の方へ移ったようでした。やっぱりふくろうだったのです。 そ・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・また、近く内外社から出る綜合プロレタリア芸術講座の中にも、本気で、書いた。 この問題は、同時に、そうちょいと簡単に、ナンセンスでやっつけるわけには行かない代物なのだから、自分とすると、またまたここで、抑々ソヴェト生産拡張五箇年計画は、と・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
出典:青空文庫