・・・余り名文ではないが、淡島軽焼の売れた所以がほぼ解るから、当時の広告文の見本かたがた全文を掲げる。私店けし入軽焼の義は世上一流被為有御座候通疱瘡はしか諸病症いみもの決して無御座候に付享和三亥年はしか流行の節は御用込合順番札にて差上候儀・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・自転車に乗れる青年を求むという広告文で、それと察しなかったのは迂濶だった。新聞記者になれるのだと喜んでいたのに、自転車であちこちの記者クラブへ原稿を取りに走るだけの芸だった。何のことはないまるで子供の使いで、社内でも、おい子供、原稿用紙だ、・・・ 織田作之助 「雨」
・・・一人分八百円ずつ、取るものは取ったが、しかし、果して新聞の広告文通り約束を実行したかどうか。 なるほど、最初の一月は一提の薬と、固定給四十円を交付したが、その後は口実を構えて補給薬も固定給も送らない。家賃、電灯代も忘れた顔をしていたのだ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・新聞では、本の広告文が一ばんたのしい。一字一行で、百円、二百円と広告料とられるのだろうから、皆、一生懸命だ。一字一句、最大の効果を収めようと、うんうん唸って、絞り出したような名文だ。こんなにお金のかかる文章は、世の中に、少いであろう。なんだ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・その短い文章は例の通りキビキビとして極めて要を得ているのは勿論であるが、その行文の間に卑怯な迫害者に対する苦々しさが滲透しているようである。彼に対する同情者は遠方から電報をよこしたりした。その中にはマクス・ラインハルトの名も交じっていた。・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 実際作物の創作心理から考えてみても、考えていたものがただそのままに器械的に文字に書き現わされるのではなくて、むしろ、紙上の文字に現われた行文の惰力が作者の頭に反応して、ただ空で考えただけでは決して思い浮かばないような潜在的な意識を引き・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・子供の片言でも、商品の広告文でも、法律の条文でも、幾何学の定理の証明でもそうである。ピタゴラスの定理の証明の出て来る小説もあるのである。 ここで言葉というのは文字どおりの意味での言葉である。絵画彫刻でも音楽舞踊でも皆それぞれの「言葉」を・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そういう場合にはきっと、その発明者が素人であるという事自身が、その発明が専門家の発明よりも立派なものであることを証明するかのごとき錯覚を起こさせるような麻酔剤が記事の行文の間に振りかけられている。また苦心の年月の長かったこと自身がその発明の・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ 数年前山火事に関する若干の調査をしたいと思い立って、目ぼしい山火事のあったときに自分の関係の某官衙から公文書でその山火事のあった府県の官庁に掛け合って、その山火事の延焼の過程をできるだけ詳しく知らせてくれるように頼んでやったことがあっ・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・しかし行文の間に少しでも臆断のにおいがあればそれは不文の結果である。推理の誤謬や不備があればそれは不敏のいたすところである。このはなはだ僭越と考えらるべき門外漢の一私案が、もし専門学者にとってなんらかの参考ともならば、著者としての喜びはこれ・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
出典:青空文庫