・・・お嫁に行く、あの夜のつるに酷似していたのである。それまでの、けわしい泥酔が、涼しくほどけていって、私は、たいへん安心して、そうして、また、眠ってしまったらしい。ずいぶん酔っていたのである。御不浄に立ったときのことと、それから、少女の微笑と、・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・カモノハシという動物に酷似していると言った友人がありました。また、ある友人はなぐさめて、ダグラスという喜劇俳優に似ている、おごれ、と言いました。とにかく、ひどく太ったものです。こんなに太っていると、淋しい顔をしていても、ちっとも、引立たない・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・この場合も、さきの盲目の女の話と酷似しているものがあると思う。その兎の目は、ちっとも猟夫を恐怖していないばかりか、どだい猟夫というものを見たことさえないのに、それを保有した女のほうで、わざわざ猟夫を恐怖する。狐が人をだますものでもないのに、・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑くにして致仕し、其師星巌が風流の跡を慕って「蓮塘欲レ継梁翁集。也是吾家消暑湾。」と言った。然し幾くもなくして湖山は其居を神田五軒町に移した。 明治年間池塘に居を卜した名士にし・・・ 永井荷風 「上野」
・・・政治を論じたり国事を憂いたりする事も、恐らくは貧家の子弟の志すべき事ではあるまい。但し米屋酒屋の勘定を支払わないのが志士義人の特権だとすれば問題は別である。 わたくしは教師をやめると大分気が楽になって、遠慮気兼をする事がなくなったので、・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯家なく山水の間に放吟し、文政の初に平安の客寓に死したのである。 遠山雲如の『墨水四時雑詠』には風俗史の資料となるべきものがある。島田筑波さんは既に何か・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・左れば今の女子を教うるに純然たる昔の御殿風を以てす可らざるは言うまでもなきことなれども、幼少の時より国字の手習、文章手紙の稽古は勿論、其外一切の教育法を文明日進の方針に仕向けて、物理、地理、歴史等の大概を学び、又家の事情の許す限りは外国の語・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・両大臣は共に一国の国事経営を負担する者にして、其官名に内外の別こそあれ、身分には軽重を見ず。然らば則ち女大学の夫に仕え云々の文は、内務大臣をして外務大臣に仕えしめんとするものに異ならず。事実に可笑しからずや。一国に行われざることは一家にも行・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・改革の後も役夫・職人の輩はただちに国事にかかわることなく、議員の種族はいぜんたる旧の議員にして、ただこの改革ありしがために、早くすでに議員に戒心を抱かしめ、期せずしておのずから下等の人民を利したりという。 ゆえに政府たる者が人民の権を認・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 春来、国事多端、ついに干戈を動かすにいたり、帷幄の士は内に焦慮し、干役の兵は外に曝骨し、人情恟々、ひいて今日にいたる。ここにおいてか世の士君子、あるいは筆を投じて戎軒を事とするあり、あるいは一書生たるを倦みて百夫の長たらんとするあり、・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
出典:青空文庫