・・・万葉集をみると、当時は支配権力が決して後世のように確立していなかったこともうかがえるのである。 万葉集の時代が過ぎて文学のうえで婦人が活躍した藤原時代が来る。王朝時代の文学は、主として婦人によってつくられたということがいわれている。栄華・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・明治の聖代になってから以還、分明に前人の迹を踏まない文章が出でたということは、後世に至っても争うものはあるまい。露伴の如きが、その作者の一人であるということも、また後人が認めるであろう。予はこれを明言すると同時に、予が恰もこの時に逢うて、此・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・これは医道のことなどは平生深く考えてもおらぬので、どういう治療ならさせる、どういう治療ならさせぬという定見がないから、ただ自分の悟性に依頼して、その折り折りに判断するのであった。もちろんそういう人だから、かかりつけの医者というのもよく人選を・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・私の悟性から見れば、初め君が他人の空似は有るものだと云ったのは反語でなくてはならない。芸者が臥所へ来た時、君は浜路に襲われた犬塚信乃のように、夜具を片附けて、開き直って用向を尋ねた。さて芸者の詞を飽くまで真面目に聞いて、旨く敬して遠ざけたの・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・ その後仲平は二十六で江戸に出て、古賀こがとうあんの門下に籍をおいて、昌平黌に入った。後世の註疏によらずに、ただちに経義を窮めようとする仲平がためには、古賀より松崎慊堂の方が懐かしかったが、昌平黌に入るには林か古賀かの門に入らなくてはな・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・認識とは悟性と感性との綜合体なるは勿論であるが、その客体を認識する認識能力を構成した悟性と感性が、物自体へ躍り込む主観なるものの展発に際し、よりいずれが強く感覚触発としての力学的形式をとるかと云うことを考えるのが、新感覚の新なる基礎概念を説・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・のであって、悟性の判断に待つのではない。この点について三味線の鶴沢重造氏はきわめて興味の深いことを話してくれた。最初三味線を弾き出す時に、左右を顧み、ころあいをはかってやるのではない。もちろん合図などをするのではない。自分がパッと飛び出す時・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫