・・・五調、九七五調の句独鈷鎌首水かけ論の蛙かな売卜先生木の下闇の訪はれ顔花散り月落ちて文こゝにあら有難や立ち去る事一里眉毛に秋の峰寒し門前の老婆子薪貪る野分かな夜桃林を出でゝ暁嵯峨の桜人五八五調、五九五調、五・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・富士山の路は非常に険だと聞いたが、こんなものなら訳はないヨ。オヤ君は爰に写生していたのか。もう四、五枚出来てる?、それはえらいネー。もう五合目い来たのか。とにかくあしこの茶屋で休もうじゃないか。ヤア日本茶店と書てある。何がある。しる粉がある・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・もし投げたる球が走者に中れば死球といいて敵を殺さぬのみならずかえって防者の損になるべしされば走者がこの危険の中に身を投じて唯一の塁壁と頼むべきは第一第二第三の基なり。けだし走者の身体の一部この基(坐蒲団に触れおる間は敵の球たとい身の上に触る・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 吉井徳子さんの場合は、幾重にもたたまってかぶさって来た境遇的な不幸を、一人の女としてはねかえして生きる道を見出すために佐賀錦の仕事がとらえられました。仕事、そして職業。ここでは二つのものが、生活の必要という立前から虚飾なく統一されてい・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・ 舟は豊後国佐賀関に着いた。鶴崎を経て、肥後国に入り、阿蘇山の阿蘇神宮、熊本の清正公へ祈願に参って、熊本と高橋とを三日ずつ捜して、舟で肥前国島原に渡った。そこに二日いて、長崎へ出た。長崎で三日目に、敵らしい僧を島原で見たと云う話を聞・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・桂離宮の玄関前とか、大徳寺真珠庵の方丈の庭とかは、その代表的なものと言ってよい。嵯峨の臨川寺の本堂前も、二十七、八年前からそういう苔庭になっている。こういう杉苔は、四季を通じて鮮やかな緑の色調を持ち続け、いつも柔らかそうにふくふくとしている・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫