・・・それから夜は目を覚ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。 三一 答案 確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙を配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」と・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・僕は時々居睡りをし、はっと思って目を醒ます拍子に危く香炉を落しそうにする。けれども谷中へは中々来ない。可也長い葬列はいつも秋晴れの東京の町をしずしずと練っているのである。 僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉で・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・…… 僕は目を醒ますが早いか、思わずベッドを飛び下りていた。僕の部屋は不相変電燈の光に明るかった。が、どこかに翼の音や鼠のきしる音も聞えていた。僕は戸をあけて廊下へ出、前の炉の前へ急いで行った。それから椅子に腰をおろしたまま、覚束ない炎・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・都会がもう目を醒ます。そこにもここにも、寒そうにいじけた、寐の足りないらしい人が人道を馳せ違っている。高架鉄道を汽車がはためいて過ぎる。乗合馬車が通る。もう開けた店には客が這入る。 フレンチは車に乗った。締め切って、ほとんど真暗な家々の・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・勇士は轡の音に目を覚ますとか、美人が衾の音に起きませぬよう、そッと抜出して用達しをしてまいり、往復何事もなかったのでありまするが、廊下の一方、今小宮山が行った反対の隅の方で、柱が三つばかり見えて、それに一つ一つ掛けてあります薄暗い洋燈の間を・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
その日の朝であった、自分は少し常より寝過ごして目を覚ますと、子供たちの寝床は皆からになっていた。自分が嗽に立って台所へ出た時、奈々子は姉なるものの大人下駄をはいて、外へ出ようとするところであった。焜炉の火に煙草をすっていて・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・高い木立の頂きに暁の風は、自然の眠りを醒ます先駆の叫びのように聞かれた。私は世間の多くの人々が、此夜から暁になろうとしている瞬間の自然の景色を、自分の如くこうして外に立って親しく知る者が幾人あろうと考えた。……私は其処に新しい詩材を見出すこ・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・私は昨日からの餒じさが、目を覚ますとともに堪えがたく感じてきて、起き上る力もない。そっと仰向きに寝たまま、何を考える精もなく、ただ目ばかりパチクリ動かしていた。 見るともなく見ると、昨夜想像したよりもいっそうあたりは穢ない。天井も張らぬ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・然し今でも真夜中にふと眼を醒ますと酒も大略醒めていて、眼の先を児を背負ったお政がぐるぐる廻って遠くなり近くなり遂に暗の中に消えるようなことが時々ある。然し別に可怕しくもない。お政も今は横顔だけ自分に見せるばかり。思うに遠からず彼方向いて去っ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ しかし、彼は酔いを覚ます事は好まない様子で、その水菓子には眼もくれず、ウイスキイの茶呑茶碗にだけ手をかける。「俺は政治はきらいだ」と突如、話題は政治に飛ぶ。「われわれ百姓は、政治なんて何も知らなくていいのだ。実際の俺たちの暮しに、・・・ 太宰治 「親友交歓」
出典:青空文庫