・・・ * * * * * 僕は翌々十八日の午後、折角の譚の勧めに従い、湘江を隔てた嶽麓へ麓山寺や愛晩亭を見物に出かけた。 僕等を乗せたモオタア・ボオトは在留日本人の「中の島」と呼ぶ三角洲を左にしながら、二時前後の湘江を走・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ といいかけて、行かむとしたる、山番の爺はわれらが庵を五六町隔てたる山寺の下に、小屋かけてただ一人住みたるなり。 風吹けば倒れ、雨露に朽ちて、卒堵婆は絶えてあらざれど、傾きたるまま苔蒸すままに、共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・――あの、実は、今しがた、遠方のお客様から電報が入りまして、この三時十分に動橋へ着きます汽車で、当方へおいでになるッて事だものですから、あとは皆年下の女たちが疲れて寝ていますし……私がお世話を申上げますので。あの、久しぶりで宵に髪を洗いまし・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・すぐに近間の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も経たないのに、寺から世話人に返して来ました。預った夜から、いままでに覚えない、凄じい鼠の荒れ方で、何と、昼も騒ぐ。……それが皆その像を狙うので、人手は足りず、お守をしかねると言・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・そこへ身体ごと包むような、金剛神の草鞋の影が、髣髴として顕れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、径へ転落ちたに相違ない。 雛の微笑さえ、蒼穹に、目に浮んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ橇り落した。 清水の向畠のくずれ土・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・その夜、故郷の江戸お箪笥町引出し横町、取手屋の鐶兵衛とて、工面のいい馴染に逢って、ふもとの山寺に詣でて鹿の鳴き声を聞いた処…… ……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場を、もう汽車が出ようとする間際だったと言うのである。 こ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・締切を過ぎて、何度も東京の雑誌社から電報の催促を受けている原稿だったが、今日の午後三時までに近所の郵便局へ持って行けば、間に合うかも知れなかった。「三時、三時……」 三時になれば眠れるぞと、子供をあやすように自分に言いきかせて、――・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅固な仏教求道者として過ごさせられた。実に西国巡礼の最初の御方である。また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・しかるに今日においては国法は男子の利益においてきめられ社会は母性と、産児と、未亡人とを保護しない。妊娠すれば職を失わなくてはならぬ有様である。しかも共稼ぎしなくては子どもを養育できない。男子は独立して妻子を養い得ぬのが普通となり、といって婦・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・ 憫むべし晩成先生、嚢中自有レ銭という身分ではないから、随分切詰めた懐でもって、物価の高くない地方、贅沢気味のない宿屋を渡りあるいて、また機会や因縁があれば、客を愛する豪家や心置ない山寺なぞをも手頼って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州の・・・ 幸田露伴 「観画談」
出典:青空文庫