・・・ 三 御散歩ですか。と背後より声をかくるは辰弥なり。光代は打ち驚きて振り返りしが、隠るることもならずほどよく挨拶すれば、いい景色ではありませぬか。あなた、湖水の方へ行ってごらんなされましたかと聞く。いえまだ、実は今宿・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 或日自分は何時のように滑川の辺まで散歩して、さて砂山に登ると、思の外、北風が身に沁ので直ぐ麓に下て其処ら日あたりの可い所、身体を伸して楽に書の読めそうな所と四辺を見廻わしたが、思うようなところがないので、彼方此方と探し歩いた、すると一・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・偉大にして理想主義のたましい燃ゆる青年は、必ずしも舗道散歩のパートナーとして恰好でなくても、真に将来を託するに足るというようなことを啓蒙するのだ。貧しい大学生などよりは、少し年はふけていても、社会的地歩を占めた紳士のほうがいいなどといった考・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中 小樽に名高きキトに宿りて、夜涼に乗じ市街を散歩するに、七夕祭とやらにて人々おのおの自己が故郷の風に従い、さまざまの形なし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・旅宿は三浦屋と云うに定めけるに、衾は堅くして肌に妙ならず、戸は風漏りて夢さめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。 十三日、明けて糠くさき飯ろくにも喰わず、脚半はきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地まで海・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・そして、散歩の途中でも家のことが気にかかって来るのが私の癖のようになってしまった。「とうさん、僕たちが留守居するよ。」と、次郎なぞが言ってくれる日を迎えても、ただただ私の足は家の周囲を回りに回った。あらゆる嵐から自分の子供を護ろうとした七年・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・老博士も、やはり世に容れられず、奇人よ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石に侘びしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出でございます。博士は、よれ・・・ 太宰治 「愛と美について」
大学生、三浦憲治君は、ことしの十二月に大学を卒業し、卒業と同時に故郷へ帰り、徴兵検査を受けた。極度の近視眼のため、丙種でした、恥ずかしい気がします、と私の家へ遊びに来て報告した。「田舎の中学校の先生をします。結婚するか・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・ 散歩には此頃は好時節である。初夏の武蔵野は檪林、楢の林、その若葉が日に光って、下草の中にはボケやシドメが赤い花をちらちら見せて居る。林を縁取った畑には、もう丈高くなった麦が浪を打って、処々に白い波頭を靡かして居る。麦の畑でない処には、・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
出典:青空文庫