・・・悪戯は更に彼等の仲間にも行われざるを得なかった。「そりゃ畑へ落して来たぞ」 他の一人がいった。「どこらだんべ」 落したと思った一人は熱心に聞いた。「西から三番目の畝だ、おめえが大きいのを抱えた時ちゃらんと音がしたっけが其・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・器械的な自然界の現象のうち、尤も単調な重複を厭わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されん・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・今日、諸君のこの厚意に対して、心窃に忸怩たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・現に私だって今ここに書こうとすることよりも百倍も不思議な、あり得べからざる「事」に数多く出会っている。そしてその事等の方が遙に面白くもあるし、又「何か」を含んでいるんだが、どうも、いくら踏ん張ってもそれが書けないんだ。検閲が通らないだろうな・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・養家に行きて気随気儘に身を持崩し妻に疏まれ、又は由なき事に舅を恨み譏りて家内に風波を起し、終に離縁されても其身の恥辱とするに足らざるか。ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・易らず。易らざる者は以て当にすべし、常ならざる者豈当にならんや。 偶然の中に於て自然を穿鑿し種々の中に於て一致を穿鑿するは、性質の需要とて人間にはなくて叶わぬものなり。穿鑿といえど為方に両様あり。一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・解すべからざるものをも解し、文に書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、終には永遠の闇の中に路を尋ねて行くと見える。(中央の戸より出で去り、詞の末のみ跡に残る。室内寂として声無し。窓の外に死のヴァイオリンを弾じつつ過ぎ行くを見・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹のかきゅうに陥らず、『万葉』を・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「こざる、こざる、 おまえのこしかけぬれてるぞ、 霧、ぽっしゃん ぽっしゃん ぽっしゃん、 おまえのこしかけくされるぞ。」「いいテノールだねえ、いいテノールだねえ、うまいねえ、うまいねえ、わあわあ。」「第五とうしょう・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ この時代、小熊氏の活躍は量的に旺盛であったろうけれども、おのずから自身の生活も現実への無評価ということからアナーキスティックな色調を帯びざるを得なかったと思われる。 最後に近い年に到って、小熊さんは自身の言葉の才への興じかたも落ち・・・ 宮本百合子 「旭川から」
出典:青空文庫