・・・たる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数百、家屋の損失数万をもって数え・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・この版画の油絵はたしかに一つの天啓、未知の世界から使者として一人の田舎少年の柴の戸ぼそにおとずれたようなものであったらしい。 当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官、頼光の大江山鬼退治、阿波の鳴戸、・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・そうして小さな試写室を設けて客足をひくのも一案ではないかと思われるのである。近ごろ写真ばかりの本のはやるのはもうこの方向への第一歩とも見られる。 読みたい本、読まなければならない本があまり多い。みんな読むには一生がいくつあっても足りない・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
昭和九年三月二十一日の夕から翌朝へかけて函館市に大火があって二万数千戸を焼き払い二千人に近い死者を生じた。実に珍しい大火である。そうしてこれが昭和九年の大日本の都市に起こったということが実にいっそう珍しいことなのである。・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・死んだ人を目当てにしたものか、遺族ないしは会葬者に対して読まれるものだろうか、それとも死者に呼びかける形式で会葬者に話しかけるものだろうか。あるいは読む人の心持だけのものであるか。 いずれにしてもあれはもう少し何とかならないものだろうか・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である、死者に対しての心づくしである。この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。 死にし子顔よかりき、をんな子のためには親をさなくなりぬべしなど、古・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・例えば死者を祭るに供物を捧ぐるは生者の情なれども、其情如何に濃なるも亡き人をして飲食せしむることは叶わず。左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻ならず、此恨綿々絶ゆる期なしと雖も、冥土人間既に処を殊にすれば・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・恃み、氏の為めに苦戦し氏の為めに戦死したるに、首領にして降参とあれば、たとい同意の者あるも、不同意の者は恰も見捨てられたる姿にして、その落胆失望はいうまでもなく、ましてすでに戦死したる者においてをや。死者若し霊あらば必ず地下に大不平を鳴らす・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・去る者は日々に疎しといってなかなか死者に対する礼はつくされないものだ。僕も生前に経験がある。死んだ友達の墓へ一度参ったきりでその後参ろう参ろうと思って居ながらとうとう出来ないでしまった。僕は地下から諸君の万歳を祈って居る。…………今日は誰も・・・ 正岡子規 「墓」
・・・わが軍死者なし。報告終りっ。」 駆逐艦隊はもうあんまりうれしくて、熱い涙をぼろぼろ雪の上にこぼしました。 烏の大監督も、灰いろの眼から泪をながして云いました。「ギイギイ、ご苦労だった。ご苦労だった。よくやった。もうおまえは少佐に・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
出典:青空文庫