・・・また媒妁人は、大学で私たちに東洋美術史を教え、大隅君の就職の世話などもして下さった瀬川先生がよろしくはないか、という私の口ごもりながらの提案を、小坂氏一族は、気軽に受けいれてくれた。「瀬川さんだったら、大隅君にも不服は無い筈です。けれど・・・ 太宰治 「佳日」
・・・その日、井伏さんと檀君と、ふたりさきに出掛けて、地平は、用事のために一足おくれて、その実兄の宿へ行く途中、荻窪の私の家へほんの鳥渡、立ち寄って、私の就職のことで二、三、打ち合せてから、井伏さんたちのあとを追って荻窪の駅へ、私も駅まで見送って・・・ 太宰治 「喝采」
・・・みやこ新聞社の就職試験に落第したから、死んだのである。 落第と、はっきり、きまった。かれら夫婦ひと月ぶんの生活費、その前夜に田舎の長兄が送ってよこした九十円の小切手を、けさ早く持ち出し、白昼、ほろ酔いに酔って銀座を歩いていた。老い疲れた・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・『春服』創刊から二号にかけて、ぼくは昨年暮から今年の三月頃まで就職に狂奔しました。幸い、ぼくは母方の祖父の友人の世話で現在の会社に入れて貰いました。その頃から益々兄と仲が悪く、蔵書一切を売って旅に出ようと決心したりしました。兄はぼくが文学を・・・ 太宰治 「虚構の春」
「小説修業に就いて語れ。」という出題は、私を困惑させた。就職試験を受けにいって、小学校の算術の問題を提出されて、大いに狼狽している姿と似ている。円の面積を算出する公式も、鶴亀算の応用問題の式も、甚だ心もとなくいっそ代数でやれ・・・ 太宰治 「答案落第」
・・・しかし、そういう僻説を少しも修飾することなしにそのままに記録するということが、かえって賢明なる本講座の読者にとってはまた特殊の興味があるかと思うので、なんら他を顧慮することなくして、年来の所見をきわめて露骨に、しかも無秩序に羅列したまでであ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 二 ある会社のある工場に新たに就職した若い男が、就職後間もなく誰かから自分の前任者が二人まで夭死をしたこと、その原因がその工場で発生する毒瓦斯のためらしいという話を聞き込んで、ひどく驚きおびえて、少し神経衰・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・卒業後の就職などについても労を惜しまず面倒を見た。また、すべての人の長所を認識して適材を適処に導く事を誤まらなかった。晩年大学蹴球部の部長をつとめていたが、部の学生達は君を名づけて「オヤジ」と云っていた。部内の世話は勿論、部員学生の一身上の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ もっともそう言えば結婚でも就職でも、よく考えてみればみんなイシャクの入れ歯をイブラヒムの口にはめて、そうして歯ぐきがそれにうまく合うように変形するまで我慢できるかできないかを試験するようなものかもそれはわからないのである。 話は変・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その時、子規は、夏目先生の就職その他についていろいろ骨を折って運動をしたというような話をして聞かせた。実際子規と先生とは互いに畏敬し合った最も親しい交友であったと思われる。しかし、先生に聞くと、時には「いったい、子規という男はなんでも自分の・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
出典:青空文庫