・・・ 先生の白襯衣を着た所は滅多に見る事が出来なかった。大抵は鼠色のフラネルに風呂敷の切れ端のような襟飾を結んで済ましておられた。しかもその風呂敷に似た襟飾が時々胴着の胸から抜け出して風にひらひらするのを見受けた事があった。高等学校の教授が・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・正義と云い人道と云うは朝嵐に翻がえす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚のほむらが焼け付いている。狼は如何にして鴉と戦うべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣ゆる積りか分らぬ。只時ならぬ血潮とまで見えて迸ばしりたる酒の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。我が前に物なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。この門を過ぎんとするものはいっさいの望を捨てよ。という句がどこぞで刻んではないかと思った。余はこの時すでに常・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・女は去ると先ず宣言して、文の末に至り、妾に子あれば去るに及ばずと前後照応して、男子に蓄妾の余地を与え、暗々裡に妻をして自身の地位を固くせんが為め、蓄妾の悪事たるを口に言わずして却て之を夫に勧めしむるの深意ならんと邪推せざるを得ず。又事実に於・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そもそも天の此文を喪さざるの深意なるべし。本日たまたま中元、同社、手から酒肴を調理し、一杯をあげて、文運の地におちざるを祝す。 慶応四年戊辰七月慶応義塾同社 誌 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・しかもけっして既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を、色あせた仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするものではない。二 これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しようとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる驚異に値す・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・女なら女のことを解決するかもしれない、というぼんやりした婦人たちの期待は、時期尚早のうちに強行された選挙準備のうちに、決して、慎重に政党の真意を計るところまで高められようもなかった。連記制は、この未熟さに拍車をかけて、三名選挙するのなら、そ・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・ 株で儲けたと云う須藤が、彼方此方の土地開放の流行の真意を最も生産的に理解しない筈はない。恐らく徳川幕府の時代から、駒込村の一廓で、代々夏の夜をなき明したに違いない夥しい馬追いも、もうあの杉の梢をこぼれる露はすえない事になった。 種・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・鼠色のフランネルの襯衣を着たりして、手の赤い楽師たちのその熱心さのなかには、人類の芸術の宝をもう一度本当に自分たちのものとして持ち直そうとしている、その土地全体の気風の若々しさが映って感じられたのであった。 外国のひとたちは旅行して汽車・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・の「黄金の仔牛」の世界は、そういう意味では、ゴーゴリの世界と全くちがう。訳者は「黄金の仔牛」の世界のユーモアを「上からの笑い」だと表現している。「上からの笑い」の真意は、勝利者が上から敗北者にあびせかけた笑いであるというよりは、現実社会の腐・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
出典:青空文庫