・・・それを見附けて、女の押丁が抱いて寝台の上に寝かした。その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた。女房は小鳥が羽の生えたままで死ぬように、その着物を着たままで死んだのである。跡から取調べたり、周囲の人を訊問して見たりすると、女房は檻房・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・縹致よりは支度、支度よりは持参、嫁の年よりはまず親の身代を聞こうという代世界だもの、そんな自惚れなんぞ決してお持ちでないって、ねえ、そう言ったことですよ」「だって、何ぼ今の代世界だって、阿母さんのようにそう一概に言ったものでもありません・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「この家の身代は僕が預っているのです。あなた方に指一本……」差してもらいたくないのはこっちのことですと、尻を振って外へ飛び出したが、すぐ気の抜けた歩き方になった。種吉の所へ行き、お辰の病床を見舞うと、お辰は「私に構わんと、はよ維康さんとこイ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 鍵の掛る、粗末なダブル寝台のある洋風の部屋だった。 女中は案内すると、すぐ出て行ったが、やがて、お茶と寝巻を持って来た。「お名前をこれに……」 小沢は自分の姓名を書いて渡そうとすると、「こちらさんのお名前もご一緒に……・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ 石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取り囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼が惹かれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人達はそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝立していた。・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・食堂車。寝台車。光と熱と歓語で充たされた列車。 激しい車輪の響きが彼の身体に戦慄を伝えた。それははじめ荒々しく彼をやっつけたが、遂には得体の知れない感情を呼び起こした。涙が流れ出た。 響きは遂に消えてしまった。そのままの普段着で両親・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・ 一時間ばかり椅子でボンヤリしているうちに、伍長と、も一人の上等兵とは、兵舎で私の私物箱から背嚢、寝台、藁布団などを悉く引っくりかえして、くまなく調べていた。そればかりでなく、ほかの看護卒の、私物箱や、財布をも寝台の上に出させ、中に這入・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 吉永は、松木の寝台の上で私物を纏めていた。炊事場を引き上げて、中隊へ帰るのだ。 彼は、これまでに、しばしば危険に身を曝したことを思った。 弾丸に倒れ、眼を失い、腕を落した者が、三人や四人ではなかった。 彼と、一緒に歩哨に立・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 汽車の上り下りには赤帽が世話をする、車中では給仕が世話をする、食堂車がある、寝台車がある、宿屋の手代は停車場に出迎えて居る、と言ったような時世になったのですから、今の中等人士は昔時の御大名同様に人の手から手へ渡って行って、ひどく大切に・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・ 王女は、しまいに立派な寝室へつれて行って、「ここにある寝台のどれへなりとおやすみなさい。」と言いました。ウイリイはそれをことわって、門のそばへいって犬と一しょに寝ました。 あくる朝、ウイリイは王女のところへ行って、「どうぞ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫