・・・この変っていないという一事こそ、真に驚嘆、敬服に価すべきものではないか。進歩していない、というと悪く聞えますが、退歩していないと言い直したらどうでしょう。退歩しないという事は、之はよほどの事なのです。 修業という事は、天才に到る方法では・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・あれに比べると外の多くの騒がしい絵は、云わば腹のへっているのに無闇に大きな声を出しているような気のするものである。真に美しいものは大人しく黙っている。しかしそれはいつまでも見た人の心に美しい永遠の響を留める。そしてその余韻は、その人の生活を・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・の著しいちがいはどこまでも截然と読者の心耳に響いて明瞭に聞き分けられるであろう。同じように、たとえば「炭俵」秋の部の其角孤屋のデュエットを見ると、なんとなく金属管楽器と木管楽器の対立という感じがある。前者の「秋の空尾の上の杉に離れたり」「息・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・で、その原因事情はいずれにもせよ、大審院の判決通り真に大逆の企があったとすれば、僕ははなはだ残念に思うものである。暴力は感心ができぬ。自ら犠牲となるとも、他を犠牲にはしたくない。しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重なる傾向となるべきものと思うのであります。 近頃教育者には文学はいらぬというも・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・正義と云い人道と云うは朝嵐に翻がえす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚のほむらが焼け付いている。狼は如何にして鴉と戦うべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣ゆる積りか分らぬ。只時ならぬ血潮とまで見えて迸ばしりたる酒の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・本当に物事を考えて真に或物を掴めば、自ら他によって表現することのできない言表が出て来るものである。 日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少いであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによ・・・ 西田幾多郎 「国語の自在性」
・・・彼らの姿は、真に幻想的な詩題であった。だが日本の兵士たちは、もっと勇敢で規律正しく、現実的な戦意に燃えていた。彼らは銃剣で敵を突き刺し、その辮髪をつかんで樹に巻きつけ、高粱畠の薄暮の空に、捕虜になった支那人の幻想を野曝しにした。殺される支那・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ところが真に受ける奴は一人も無い。馬鹿にして笑ってけつかる。それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ 旧幕府の末年に、天下有志の士と唱うる人物の内には、真に攘夷家もあり、また真に開国家もあり。この開攘の二家ははじめより元素を殊にする者なれば、理において決して抱合すべきに非ざれども、当時の事情紛紜に際し、幕府に敵するの目的をもって、暫時・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫