・・・それに反して、女房ユリアが夜明かしをして自分で縫った黒の喪服を着て、墓の前に立ったと云うのは事実である。公園中に一しょに住んでいただけの人は皆集まっていて、ユリアを慰めた。その詞はざっとこんな物であった。「神の徳は大きい。お前さんをいじめた・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ しかし結局、身辺小説といわれているものに優れた作品の多いことは事実であり、またしたがって当然でもあるが、私はたとい愚作であろうとかまわないから、出来得る限り身辺小説は書きたくないつもりである。理由といっては特に目立った何ものもない。た・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・軍では時日を変更することは出来ない。そこで、その日は栖方を除いたものだけで試験飛行を実行した。見ていると、大空から急降下爆撃で垂直に下って来た新飛行機は、栖方の眼前で、空中分解をし、ずぼりと海中へ突き込んだそのまま、尽く死んでしまった。・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 私たちが今矮小だという事実は、実際私たちを苦しくさせます。けれども苦しいからといってこの事実を認めないわけには行きません。私よりも聡明な人は私よりももっとよくこの事実を呑み込んでいると思います。自分の小ささを知らない青年はとても大きく・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・戦争については、吉日を選び、方角を考えて時日を移すというような、迷信からの脱却を重大な心掛けとして説いている。その他正直者の重用を説き、理非を絶対に曲げてはならないこと、断乎たる処分も結局は慈悲の殺生であることなどを力説しているのも、目につ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・いかにすれば珍しい変種ができるだろうかとか、いかにすれば予定の時日の間に注文通りの果実を結ぶだろうかとか、すべてがあまりに人工的である。 天を突こうとするような大きな願望は、いじけた根からは生まれるはずがない。 偉大なものに対する崇・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・あるものはただ少年時の感激によってのみ記憶され、あるものは幾年かの時日によって印象を鈍らされている。それでなお先生の芸術を云為することができるのか。――私はあえて筆を執ろうとする自分の無謀にも驚かざるを得ない。しかも今私は二、三の事を書きた・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫