・・・ 無事に着いた、屹度十日までに間に合せて金を持って帰るから――という手紙一本あったきりで其後消息の無い細君のこと、細君のつれて行った二女のこと、また常陸の磯原へ避暑に行ってるKのこと、――Kからは今朝も、二ツ島という小松の茂ったそこの磯・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・妻の方でも、妻も長女も、ことに二女はこのごろやはり結核性の腹膜とかで入院騒ぎなどしていて、来る手紙も来る手紙もいいことはなかった。寺の裏の山の椎の樹へ来る烏の啼き声にも私は朝夕不安な胸騒ぎを感じた。夏以来やもめ暮しの老いた父の消息も気がかり・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ けれども西国立志編(スマイルスの自助論を読んだものは洋の東西を問わず幾百万人あるかしれないが、桂正作のように、「余を作りしものはこの書なり」と明言しうる者ははたして幾人あるだろう。 天が与えた才能からいうと桂は中位の人たるにすぎな・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・「うち毛のシャツを買うて貰おう。」次女のきみが云った。 子供達は、他人に負けないだけの服装をしないと、いやがって、よく外へ出て行かないのだ。お品は、三四年前に買った肩掛けが古くなったから、新しいのをほしがった。 清吉は、台所で、・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・この家の、足のわるい十七の女中に、死ぬほど好かれている。次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。 夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやた・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・ 二 翌る日のお昼すこし前に、私が玄関の傍の井戸端で、ことしの春に生れた次女のトシ子のおむつを洗濯していたら、夫がどろぼうのような日蔭者くさい顔つきをして、こそこそやって来て、私を見て、黙ってひょいと頭をさげて・・・ 太宰治 「おさん」
・・・「長女の婿は三、四年前に北支で戦死、家族はいま小坂の家に住んでいる筈だ。次女の婿は、これは小坂の養子らしいが、早くから出征していまは南方に活躍中とか聞いていたが、君は知らなかったのかい?」「そうかあ。」私は恥ずかしかった。すすめられ・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 小さい姪というのは兄の次女で、これは去年の夏に逢って知っていた。八歳である。「シゲちゃん。」と私が呼ぶと、シゲちゃんは、こだわり無く笑った。私は少し助かったような気がした。この子だけは、私の過去を知るまい。 家へはいった。中畑・・・ 太宰治 「故郷」
・・・ G 美濃十郎は、実業家三村圭造の次女ひさと結婚した。帝国ホテルで華麗の披露宴を行った。その時の、新郎新婦の写真が、二、三の新聞に出ていた。十八歳の花嫁の姿は、月見草のように可憐であった。 ・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫