・・・その間に四一年十二月九日から翌年七月末、巣鴨拘置所で病気が悪化し意識不明になるまでとめておかれた。少し眼も見えるようになった一九四三年の春から秋にかけて、調べのつづきということで、警察や検事局へよばれた。警察では、「三月の第四日曜」という小・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
八月七日 [自注1]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 モネー筆「断崖」」の絵はがき)〕 手紙に書きもらしましたから一寸。多賀ちゃんから先程手紙で、病気は何でもなく保健所でレントゲン透視をしてもらったら、どこ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ おととしの十二月二十日すぎに、巣鴨から釈放されて、社会生活にまぎれこんで来た児玉誉士夫、安倍源基らの人々の氏名経歴を思い出して見れば、それにつづく一九四九年の権力が、そのかげにどんな要素をよりつよく含むようになったかということはおのず・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・私はもう気が気ではない、まだたずねたい所はたくさんあったが心配でしょうがないからきりあげて巣鴨行の電車に乗った。 電車は合にく込んで居た。私と彼とは車しょう台の上につみ込まれた。電車がツーツー走って居る間に彼はいくどもころがりそうになっ・・・ 宮本百合子 「心配」
・・・太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・それで手拭で片目を繃帯し、川の水をあびあびやっときりぬけて、巣鴨の方の寺に行った。 荷もつに火がつくので水をかける、そのあまりをかい出すもの、舟をこぐもの分業で命からがらにげ出したのだ。 吉田さんの話。 Miss Wells・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・を書き終ったとき、血圧が高まり、五年前に夏巣鴨の拘置所のなかでかかった熱射病の後遺症がぶりかえしたようになった。視力が衰えて、口をききにくくなって来た。仕方がなくなって、友人の心づかいで急に千葉県の田舎へ部屋がりをした。そして、その友人に日・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・ わたくしも五ヵ月がかりの問答が一応終り、むずかしい条件も添わず、けりがつきそうでいくらか気が軽くなりました。 巣鴨にチフスが流行して、病舎にいて感染いたし、大心配して居りましたが、これも不正型というので熱が低いまま落付き仕合わせ致・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・私は目白の家で殆ど毎日巣鴨へ面会にゆきながら活ぱつに執筆した。表現の許される限りで、戦争が生活を破壊して、小学校の上級生までが勤労動員させられはじめた日本の現実を描きたいと思った。この年に書いた小説はどれも、作者のその基本的な熱望の上にたっ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・――巣鴨のおしまい頃はひどかったなあ……これっぽっちの飯なんだから。二くち三くちで、もう終りさ」 重吉は網走で、独居囚の労役として、和裁工であった。囚人たちが使ってぼろになったチョッキ、足袋、作業用手套を糸と針とで修繕する仕事であった。・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫