・・・僕は、小指のさきで泡のうえの虫を掬いあげてから、だまってごくごく呑みほした。「貧すれば貪すという言葉がありますねえ。」青扇はねちねちした調子で言いだした。「まったくだと思いますよ。清貧なんてあるものか。金があったらねえ。」「どうした・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・けれども、きょうは、この書斎一ぱいのはんらんを、はんらんのままに掬いとって、もやもや写してやろうと企てた。きっと、うまくゆくだろう。「伝統。」という言葉の定義はむずかしい。これは、不思議のちからである。ある大学から、ピンポンのたくみ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・なるほど、もしも人形の顔なりからだなりが、あまりに平凡な写実的のものであったとしたら、おそらく人形の劇的表情は半分以上消えてしまうであろうのみならず、不自然、非写実的な環境の中に孤立した写実は全く救い難い破綻を見せるであろう。 女形が女・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・手創負いて斃れんとする父とたよりなき吾とを、敵の中より救いたるルーファスの一家に事ありと云う日に、膝を組んで動かぬのはウィリアムの猶好まぬところである。封建の代のならい、主と呼び従と名乗る身の危きに赴かで、人に卑怯と嘲けらるるは彼の尤も好ま・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる。『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、ま・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・左れば此旧女大学の評論、新女大学の新論は、字々皆日本婦人の為めにするものにして、之を百千年来の蟄状鬱憂に救い、彼等をして自尊自重以て社会の平等線に立たしめんとするの微意にして、啻に女性の利益のみに非ず、共に男子の身を利し家を利し子孫を利し、・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・溶けたとしたらその小さな骨を何かの網で掬い上げなくちゃなりません。そいつはあんまり手数です。」「まあそうですね。しかしひばりのことなどはまあどうなろうと構わないではありませんか。全体ひばりというものは小さなもので、空をチーチクチーチク飛・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・そのいわれより疾翔と申さるる、大力というは、お徳によって、たとえ火の中水の中、ただこの菩薩を念ずるものは、捨身大菩薩、必らず飛び込んで、お救いになり、その浄明の天上にお連れなさる、その時火に入って身の毛一つも傷かず、水に潜って、羽、塵ほども・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・それにしても、ゴーリキイは、本を読むということが、自分の生きている苦しさや悩みを救い、またその苦しさや悩みについて、ほかのどっさりの人はどう感じ、考え、そこから抜け出そうともがいているかということについて知り、慰めと希望とよろこびを見出した・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・何処かに此 赫きと色とを掬いとる 小籠はないか賢い ハンス・アンデルセンノーウェーで、五月の空気は 薫しくありませんですか? 宮本百合子 「五月の空」
出典:青空文庫