・・・「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎へでも来いよ。」 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でも行きたかった。けれども彼は超然とゴルデン・バットを銜えたまま、Kの言葉に取・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ 折から洲崎のどの楼ぞ、二階よりか三階よりか、海へ颯と打込む太鼓。 浴衣は静に流れたのである。 菊枝は活々とした女になったが、以前から身に添えていた、菊五郎格子の帯揚に入れた写真が一枚、それに朋輩の女から、橘之助の病気見舞を紅筆・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・「……君はひどく酔払っていたから分らないだろうがね、あの洲崎で君が天水桶へ踏みこんで濡鼠になった晩さ、……途中水道橋で乗替えの時だよ、僕はあそこの停留場のとこで君の肩につかまって、ほんとにおいおい声を出して泣いたんだぜ。それはいくら君と・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・自分は蚕種検査の先生方の借り切り船へ御厄介になった。須崎のある人から稲荷新地の醜業婦へ手紙を託されたとか云って、それを出して見せびらかしている。得月楼の前へ船をつけ自転車を引上げる若者がある。楼上と門前とに女が立ってうなずいている。犬引も通・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・そういう、西洋のえらい医学の大家の夢にも知らない療養法を須崎港の宿屋で長い間続けた。その手術を引き受けていたのは幡多生まれで幡多なまりの鮮明なお竹という女中であった。三十年前の善良にして忠実なるお竹の顔をありあり思い出すのであるが、その後の・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・何の祝宴か磯辺の水楼に紅燈山形につるして絃歌湧き、沖に上ぐる花火夕闇の空に声なし。洲崎の灯影長うして江水漣れんい清く、電燈煌として列車長きプラットフォームに入れば吐き出す人波。下駄の音靴のひゞき。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・大学の二年から三年にあがった夏休みの帰省中に病を得て一年間休学したが、その期間にもずっと須崎の浜へ転地していたために紅葉の盛りは見そこなった。冬初めに偶然ちょっと帰宅したときに、もうほとんど散ってしまったあとに、わずかに散り残って暗紅色に縮・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・ 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた。娼家の跡は商舗または下宿屋の如きものとなったが、独八幡楼の跡のみ、其の庭園の向ヶ岡の阻崖に面して頗幽邃の趣をなし・・・ 永井荷風 「上野」
・・・この妙な声は、わたくしが二十歳の頃、吉原の羅生門横町、洲崎のケコロ、または浅草公園の裏手などで聞き馴れたものと、少しも変りがない。時代は忽然三、四十年むかしに逆戻りしたような心持をさせたが、そういえば溝の水の流れもせず、泡立ったまま沈滞して・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・両側とも商店が並んでいるが、源森川を渡った事から考えて、わたくしはむかしならば小梅あたりを行くのだろうと思っている中、車掌が次は須崎町、お降りは御在ませんかといった。降る人も、乗る人もない。車は電車通から急に左へ曲り、すぐまた右へ折れると、・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫