・・・李小二は丁度、商売から帰る所で、例の通り、鼠を入れた嚢を肩にかけながら、傘を忘れた悲しさに、ずぶぬれになって、市はずれの、人通りのない路を歩いて来る――と、路傍に、小さな廟が見えた。折から、降りが、前よりもひどくなって、肩をすぼめて歩いてい・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・……真白な腹をずぶずぶと刺いて開いた……待ちな、あの木戸に立掛けた戸は、その雨戸かも知れないよ。」「う、う、う。」 小僧は息を引くのであった。「酷たらしい話をするとお思いでない。――聞きな。さてとよ……生肝を取って、壺に入れて、・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・驚いて猿臂を伸し、親仁は仰向いて鼻筋に皺を寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手を潜らし、掻い込んで、ずぶずぶと流を切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向けになったのは、形も崩れぬ美しい結綿の島田髷。身を投げて程も無いか、花が・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 鼻を仰向け、諸手で、腹帯を掴むと、紳士は、ずぶずぶと沼に潜った。次に浮きざまに飜った帯は、翼かと思う波を立てて消え、紳士も沈んだ。三個の赤い少年も、もう影もない。 ただ一人、水に入ろうとする、ずんぐりものの色の黒い少年を、その諸足・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ と、紫玉の手には、ずぶずぶと響いて、腐れた瓜を突刺す気味合。 指環は緑紅の結晶したる玉のごとき虹である。眩しかったろう。坊主は開いた目も閉じて、ぼうとした顔色で、しっきりもなしに、だらだらと涎を垂らす。「ああ、手がだるい、まだ?」・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ ずぶてえ阿魔だ。」 と、その鉄火箸を、今は突刺しそうに逆に取った。 この時、階段の下から跫音が来なかったら、雪次郎は、硝子を破って、血だらけになって飛込んだろう。 さまでの苦痛を堪えたな。――あとでお澄の片頬に、畳の目が鑢のよ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・大鼠がずぶずぶと水を刎ねて、鯰がギリシャ製の尖兜を頂いたごとく――のそりと立って、黄色い目で、この方をじろりと。」「…………」 声は、カーンと響いて、真暗になった。――隧道を抜けるのである。「思わず畜生! と言ったが夢中で遁げま・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・町を離れてから浪打際まで、凡そ二百歩もあった筈なのが、白砂に足を踏掛けたと思うと、早や爪先が冷く浪のさきに触れたので、昼間は鉄の鍋で煮上げたような砂が、皆ずぶずぶに濡れて、冷こく、宛然網の下を、水が潜って寄せ来るよう、砂地に立ってても身体が・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 分けても、真白な油紙の上へ、見た目も寒い、千六本を心太のように引散らして、ずぶ濡の露が、途切れ途切れにぽたぽたと足を打って、溝縁に凍りついた大根剥の忰が、今度は堪らなそうに、凍んだ両手をぶるぶると唇へ押当てて、貧乏揺ぎを忙しくしながら・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 木曾道中の新版を二三種ばかり、枕もとに散らした炬燵へ、ずぶずぶと潜って、「お米さん、……折り入って、お前さんに頼みがある。」と言いかけて、初々しくちょっと俯向くのを見ると、猛然として、喜多八を思い起こして、わが境は一人で笑った。「はは・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
出典:青空文庫