・・・の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に人生を想・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・この現象については、最近に、土佐郷土史の権威として知られた杜山居士寺石正路氏が雑誌「土佐史壇」第十七号に「郷土史断片」その三〇として記載されたものがある。「昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰がない、根拠の無き話かと思えば、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・尤も『土佐古今の地震』という書物に、著者寺石正路氏が明治三十二年の颱風の際に見た光り物の記載には「火事場の火粉の如きもの無数空気中を飛行するを見受けたりき」とあるからこれはまた別の現象かもしれない。 非常な暴風のために空気中に物理的な発・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・門構えで、総二階で、ぽつんとそういう界隈に一軒あるしもたやは何となし目立つばかりでなく、どう見ても借家ではないその家がそこに四辺を圧して建てられていることに、云わばその家の世路での来歴というようなものも察しられる感じなのである。 何年も・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・忘れかねたる吾子初台に住むときいて通るたびに電車からのび上るのは何のためか 呻きのように母の思いのなり響く「秋」世路の荒さを肌に感じさせる「南風の烈しき日」ひとりをかみしめて食む 夕食と涙たよりに・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ 悪霊のような煩悶や、懊悩のうちに埋没していた自分のほんとの生活、絶えず求め、絶えず憧れていた生活の正路が、今、この今ようやく自分に向って彼の美くしい、立派な姿を現わしたように思われていたのである。 彼女は、自分の願望を成就させるに・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・次いで私のを印刷しているうちに、町井正路君のが出た。どちらも第一部だけである。私は自分が訳してしまうまで、他人の訳本を読まずにいた。第一部も第二部も訳してしまってから、両君の第一部の訳を読んで見た。そして両君の努力を十分に認めた。尤高橋君の・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・ もとより自分は、対象の写実が正路であって自己情緒の表現が邪路であると言い切るのではない。いずれもともに正しい道であろう。しかし自己の道がいずれであるかを明瞭に意識しておくことは必要である。小林氏はもちろんそれを意識しておられるであろう・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫