・・・『戦旗』に二三原稿を送った。或るものはついたが或るものはつかなかった。初夏、クリミヤ及びドン地方の大国営農場「ギガント」へ見学旅行した。湯浅は日本へ帰ることになり、自分はどうしようか迷った。遂に帰ることにきめた。十月二十五日・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・持って来た本もよみつくした私は、一日の中、半分私が顔を知らないうちに没した先代が、細筆でこまごまと書き写した、戦記、旅行記、物語りの本に読みふけって居る。若しそうでない時は、炬燵で祖母ととりとめもない世間話しや、祖母の若い時分の話をきくので・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ それにはこれまで『婦人戦旗』というのがあったのです。『婦人戦旗』は日本で初めて生れた働く婦人の友となり教師となる雑誌でした。そして、これは戦旗社という出版社から出されていたものです。 ところが残念なことにこの『婦人戦旗』は非常に出・・・ 宮本百合子 「発刊の言葉」
・・・ 従来日本には『戦旗』『婦人戦旗』というプロレタリア大衆雑誌が発行されていた。『戦旗』は足かけ四年間、『婦人戦旗』は一年足らずの間、弾圧と闘いながら日本プロレタリア文化史上に消すことのできない功績をのこして来た。常時、『戦旗』および『婦・・・ 宮本百合子 「婦人雑誌の問題」
・・・同時に第二回プロ美術展から第三回が開かれるまでの一年間、われ等のプロレタリア美術家は毎日の争闘を芸術活動においてどう行って来たか、例えば戦旗、ナップ、その他に掲載された時事、政治漫画を、時間順に並べて、又一年の業績を見なおさして呉れるのも決・・・ 宮本百合子 「プロレタリア美術展を観る」
・・・「勝沼戦記」村山知義。 本多顕彰氏は月評の中で「勝沼戦記」は戦いを暗い方から描いたもの、「明治元年」は明るい方から書いたものという意味の短評をしていられた。「勝沼戦記」は伏見鳥羽の戦いに敗れて落ちめになってからの近藤勇と土方歳三とが・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫