・・・とハッキリ宣告したとの事です。危い処で私は病人の死を知らずにいる処でした。 やがて、一同が枕頭に集って、綿の筆で口の内外へ水を塗ってやりました。私が「基次郎」と呼ぶと、病人はパッと眼を見開きますが「お母さんだぜ、分って居るか」と言っても・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そして、「先刻あなたはシューベルトの『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」「ええ。吹いていましたよ」 と私は答えました。やはり聞こえてはいたのだ、と私は思いました。「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ ――父の苦り切った声がその不面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない声を立てて寝床からとび出しました。後からは兄がついて来ておりました。私は母の鏡台の前まで走りました。そして自分の青ざめた・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・お父様は先刻どこへかお出かけでしたな。といつもの調子軽し。 ですが親父が帰って来て案じるといけませんから、あまり遠くへは出られませぬ。と光代は浮足。なに、お部屋からそこらはどこもかしこも見通しです。それに私もお付き申しているから、と言っ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 然るに八時は先刻打っても人々は未だなかなか散じそうな様子も見えない。人力車が六台玄関の横に並んでいたが、車夫どもは皆な勝手の方で例の一六勝負最中らしい。 すると一人の男、外套の襟を立てて中折帽を面深に被ったのが、真暗な中からひょっ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 下りては来ましたが、つい先刻まで一緒にいた人がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらわれて終ったと思うと、不思議な心理状態になっていたに相違ありません。で、我はそういう場合へ行ったことがなくて、ただ話のみを聞いただけでは、それらの人の心の中が・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 蓋し司法権の独立完全ならざる東洋諸国を除くの外は此如き暴横なる裁判、暴横なる宣告は、陸軍部内に非ざるよりは、軍法会議に非ざるよりは、決して見ること得ざる所也。 然り是実に普通法衙の苟も為さざる所也。普通民法刑法の苟も許さざる所也。・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを言えば小春は赤お夏は萌黄の天鵞絨を鼻緒にしたる下駄の音荒々しく俊雄秋子が妻も籠れりわれも籠れる武蔵野へ一度にどっと示威運動の吶声座敷が座敷だけ秋子は先刻逃水「らいふ、おぶ、やまむらとしお」・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「鞠ちゃんは、先刻姉やと一緒に懐古園へ遊びに行って来ました」 とお島は夫に話して、復た乳呑児の顔を眺めた。その児は乳房を押えて飲むほどに成人していた。「俺にもおくれやれ」と鞠子は母が口をモガモガさせるのに目をつけた。「オンに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・けれども今夜は、先刻のラジオのせいもあり、気が弱っているところもございましたので、ふいとその辻占で、自分の研究、運命の行く末をためしてみたくなりました。人は、生活に破れかけて来ると、どうしても何かの予言に、すがりつきたくなるものでございます・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫