・・・ と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を顕わす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近に、まばらな田舎家の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。 次第に、麦も、田も色には出たが、菜種の花も雨にたたかれ、畠に、畝に、ひょろひょ・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何蕨でも生えてりゃ小児が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございます・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「やっと、お天気になったのが、仙台からこっちでね、いや、馬鹿々々しく、皈って来た途中ですよ。」 成程、馬鹿々々しい……旅客は、小県、凡杯――と自称する俳人である。 この篇の作者は、別懇の間柄だから、かけかまいのない処を言おう。食・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ と鷹揚に、先代の邸主は落ついて言った。 何と、媼は頤をしゃくって、指二つで、目を弾いて、じろりと見上げたではないか。「無断で、いけませんでしたかね。」 外套氏は、やや妖変を感じながら、丁寧に云ったのである。「どうなとせ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の存する梵雲庵が復活するのではない。 向島の言問の手前を堤下に下りて、牛の御前の鳥居前を小半丁も行くと左手に少し引込んで黄蘗の禅寺がある。牛島の弘福・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・すごすご帰る道、仙台に板垣退助の娘がいることを耳にした。板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」 見せて貰うと、洗濯屋の名・・・ 織田作之助 「民主主義」
・・・河童横町は昔河童が棲んでいたといわれ、忌われて二束三文だったそこの土地を材木屋の先代が買い取って、借家を建て、今はきびしく高い家賃も取るから金が出来て、河童は材木屋だと蔭口きかれていたが、妾が何人もいて若い生血を吸うからという意味もあるらし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・そして仙台にいる弟に電報を打ったのだ。 明日か明後日、弟は出てくることになっている。あと十日と迫ったおせいの身体には容易ならぬ冒険なんだが、産婆も医者もむろん反対なんだが、弟につれさせて仙台へやっちまう。それから自分は放浪の旅に出る。・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行っ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・嚢中不足は同じ事なれど、仙台にはその人無くば已まむ在らば我が金を得べき理ある筋あり、かつはいささかにても見聞を広くし経験を得んには陸行にしくなし。ついに決断して青森行きの船出づるに投じ、突然此地を後になしぬ。別を訣げなば妨げ多からむを慮り、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
出典:青空文庫