・・・和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕・・・ 正岡子規 「死後」
・・・二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや。 芭蕉も初めは菖蒲生り軒の鰯の髑髏のごとき理想的の句なきにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は、徹頭徹尾記実の一法に依りて・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ ランプがいつか心をすっかり細められて障子には月の光が斜めに青じろく射している。盆の十六日の次の夜なので剣舞の太鼓でも叩いたじいさんらなのかそれともさっきのこのうちの主人なのかどっちともわからなかった。(踊りはねるも三十がしまいって・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除をしましょう。ではここまで。」 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人も扇を下にさげて立ちました。「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・釈迦の行為を模範とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺に於てこれを習修せよ。然る後に菜食主義もよろしかろう。諸君の如き畸形の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑であろう。」 拍手はテントもひるが・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・釈迦は出離の道を求めんが為に檀特山と名くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗い村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦を得たのである。今日牛乳や鶏卵・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・而も、彼には、人間として精進し、十善に達したい意慾が、真心から熱烈にあった。 作品にその二つが調和して現れた場合、ひとは、ムシャ氏の頼もしさとは又違う種類の共鳴、鼓舞、人生のよりよき半面への渇仰を抱かせられたのだ。 彼は、学識と伝統・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・私たちの世代では、人間一人の生の意味の面からの追究でなければ、死にも触れなくなって来ているところも、フランスと日本の習慣の相異を超えた今日から明日への相似であろうと思う。〔一九三九年十一月〕・・・ 宮本百合子 「生きてゆく姿の感銘」
・・・忠公は、一太のように三畳にじっとしていないでもよいそこの息子であったから、土間の障子を明けっぱなしで遊んでいた。一太が竹格子から見ていると、忠公も軈て一太を見つける。忠公は腕白者で、いつか、「一ちゃんとこのおっかあ男だぜ、おかしいの! ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ その次の日から、一つ寝返りをうつにも若い男のゆったりした腕が、栄蔵の体の下へ入れられ、部屋の掃除などと云うと、布団ごと隣の部屋へ引きずって行く位の事は楽々された。 お節はこの力強い手代りをいかほどよろこんだか知れない。「ほ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫