・・・しかし此頃に成って見ると矢張仕事ばかりじゃア、有る時や無い時が有って結極が左程の事もないようだし、それに家にばかりいるとツイ妹や弟の世話が余計焼きたくなって思わず其方に時間を取られるし……ですから矢張半日ずつ、局に出ることに仕ようかとも思っ・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・これは、取りも直さず、これらの諸作家が平常の如何に関らず戦争に際して、動員され得るだけの素地を持っていたことを物語るものである。岩野泡鳴には凱旋将軍を讃美した詩がある。 自然主義運動に対立して平行線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・私はお蝶さんという方を大層好いて居て、其方をたよりにばかりして居た。其方に手を執って世話を仕て貰うと清書なども能く出来るような気が仕た。お蝶さんという方は後に關先生の家の方になられた。其頃習うたものは、「いろは」を終って次が「上大人丘一巳」・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・サ、かく大事を明かした上は、臙脂屋、其座はただ立たせぬぞ、必ず其方、武具、兵粮、人夫、馬、車、此方の申すままに差出さするぞ。日本国は堺の商人、商人の取引、二言は無いと申したナ。木沢殿所持の宝物は木沢殿から頂戴して遣わす。宜いではござらぬか、・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・そのために万全の措置を講じなければならぬ。しかし、私には金が無かった。たまに少しまとまったお金がはいる事があっても、私はすぐにそのお金でもってお酒を飲んでしまうのである。私には飲酒癖という非常な欠点があったのである。その頃のお酒はなかなか高・・・ 太宰治 「薄明」
・・・自分は行くともなく其方へ歩み寄った。いつもの通りの銅色の顔をして無心に藻草の中をあさっている。顔には憂愁の影も見えぬ。自分が近寄ったのも気が付かぬか、一心に拾っては砂浜の高みへ投げ上げている。脚元近く迫る潮先も知らぬ顔で、時々頭からかぶる波・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ 白木屋の火事の場合における消防当局の措置は、あの場合としては、事情の許す範囲内で最善を尽くされたもののように見える。それが事件の直前にちょうどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであ・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・また左舷へ帰って室へはいって革鞄から『桂花集』を引っぱり出して欄へもたれて高く音読すると、艫で誰れか浮かれ節をやり出したので皆が其方を見る。ボーイにマッチを貰って煙草を吸う。吸殻を落すと船腹に引付いて落ちてすぐ見えなくなる。浦戸の燈台が小さ・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・自分も陳列所前の砂道を横切って向いの杉林に這入るとパノラマ館の前でやっている楽隊が面白そうに聞えたからつい其方へ足が向いたが丁度その前まで行くと一切り済んだのであろうぴたりと止めてしまって楽手は煙草などふかしてじろ/\見物の顔を見ている。後・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・パノラマ館には例によって人を呼ぶ楽隊の音面白そうなれば吾もまた例によって足を其方へ運ぶ。また右手の小高き岡に上って見下ろせば木の間につゞく車馬老若の絡繹たる、秋なれども人の顔の淋しそうなるはなし。杉の大木の下に床几を積み上げたるに落葉やゝ積・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
出典:青空文庫