跡のはげたる入長持 聟入、取なんかの時に小石をぶつけるのはずいぶんらんぼうな事である。どうしたわけでこんな事をするかと云うと是はりんきの始めである。人がよい事があるとわきから腹を立てたりするのも世の中の人心・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・主人の姉――名はお貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちない・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そういう時勢であったから椿岳は二軒懸持の旦那で頤を撫でていたが、淡島屋の妻たるおくみは男勝りの利かぬ気であったから椿岳の放縦気随に慊らないで自然段々と疎々しくなり、勢い椿岳は小林の新らしい妻にヨリ深く親むようになった。かつ淡島屋の身代は先代・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、その頃に限らず富が足る時は名を欲するのが古今の金持の通有心理で、売名のためには随分馬鹿げた真似をする。殊に江戸文化の爛熟した幕末の富有の町家は大抵文雅風流を衒って下手な発句の一つも捻くり拙い画の一枚も描けば直ぐ得意になって本職を気取るも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ それにつき鴎外の性格の一面を窺うに足る一挿話がある。或る年の『国民新聞』に文壇逸話と題した文壇の楽屋咄が毎日連載されてかなりな呼物となった事があった。蒙求風に類似の逸話を対聯したので、或る日の逸話に鴎外と私と二人を列べて、堅忍不抜精力・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・われわれの心に鬱勃たる思想が籠もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・する審判とを論ぜしかばペリクス懼れて答えけるは汝姑く退け、我れ便時を得ば再び汝を召さん、とある、而して今時の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ユトランドの荒地は今やこの強梗なる樹木をさえ養うに足るの養分を存しませんでした。 しかしダルガスの熱心はこれがために挫けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。し・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・独歩その人が悠々たる自然に対して独り感じたんだなと思うその姿がまざ/\と見える。秋から冬にかけて木枯の寒い晩に一人の女性が、人生に感傷して歩いていたと云う姿が浮んで来る。自己対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 ・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・この意味に於て、動物文学は、美と平和を愛する詩人によって、また真理に謙遜なる科学者によって、永遠無言の謎を解き、その光輝を発し、人類をして、反省せしむるに足るのであります。 小川未明 「天を怖れよ」
出典:青空文庫