・・・――その目の前で、 名工のひき刀が線を青く刻んだ、小さな雪の菩薩が一体、くるくると二度、三度、六地蔵のように廻る……濃い睫毛がチチと瞬いて、耳朶と、咽喉に、薄紅梅の血が潮した。 脚気は喘いで、白い舌を舐めずり、政治狂は、目が・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・渡鳥がチチと囀った。「あれ、小松山の神さんが。」 や、や、いかに阿媽たち、――この趣を知ってるか。――「旦那、眉毛を濡らさんかねえ。」「この狐。」 と一人が、浪路の帯を突きざまに行き抜けると、「浜でも何人抜かれた・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・いけずな女で、確に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌の中に入った。「引掴んじゃ不可い、そっとそっと。」これが鶯か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠をと、内にはないから買いに出る処だけれど、対手が、のりを舐める代・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・遊人嘔唖歌吹シ遅遅タル春日興ヲ追ヒ歓ヲ尽シテ、惟夕照ノ西ニ没シ鐘声ノ暮ヲ報ズルヲ恨ムノミ。」となしている。 桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が多くある。斎藤月岑の東都歳・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ツーともチチとも云わない。まことに飢えたものの真剣さを、小さい頭、柔かい背に遺憾なく顕わして、せっせと、只管に粟の実を割るのである。 微かながら絶間のないピチ、ピチ、と云う音をきき乍ら、私は、寂しい、憂わしい心持に襲われた。小鳥を飼う等・・・ 宮本百合子 「餌」
午後から日がさし、積った白雪と、常磐木、鮮やかな南天の紅い実が美くしく見える。 机に向っていると、隣の部屋から、チクチク、チチと小鳥の囀りが聞えて来る。二三日雪空が続き、真南をねじれて建った家には、余り充分日光が射さな・・・ 宮本百合子 「小鳥」
・・・のほかに「致知啓蒙」、福沢諭吉は「文明論の概略」、祖父は明治八年に「泰西史鑑」というものを独・物的爾著から重訳して出している。 いずれも当時の進歩的学者であったし、年輩も既に四十歳を越した人々がそれだけ心を合わせて兎に角一つの啓蒙雑誌を・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・鳥は、見違えるほど綺麗に感じられた。瑞々しい、青い、四月の菊の葉に照って、薄桃色の、質のよい貝殼のような嘴、黒天鵞絨のキャップをのせた小さい頭、こまやかな鼠灰色の羽なみが、実に優美だ。鳥は、チチ、チチ、と短く囀りながら、二とび三とび地面を進・・・ 宮本百合子 「春」
三四日梅雨のように降りつづいた雨がひどい地震のあと晴れあがった。 五時すぎて夕方が迫っているのに 雀がチク チ チチと楽しそうに囀り、まだ濡れて軟かく重い青葉は眼に沁みる程 蒼々として見える。どこでホーホケキョと鶯の声・・・ 宮本百合子 「無題(十)」
出典:青空文庫