・・・ある時は、井村がケージの脇の梯子を伝って這い上った。ある時は、五百尺の暗い、冷々とする坑道を示し合して丸太の柵をくゞりぬけた。 彼は、彼女をねらっているのが、技師の石川だけじゃないのに気がついた。監督の阿見も、坂田も、遠藤も彼女をねらっ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・命を受けて左様いう事を仕て居るというのでも無いのですが、長らく先生の教を受けて居る中に自然と左様いう地位に立たなければならぬように、自然と出来上がった世話役なので、塾は即ち先生と右の好意的世話役の上足弟子とで維持されて居る訳なのです。 ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・およそ一町あまりにして途窮まりて後戻りし、一度旧の処に至りてまた右に進めば、幅二尺ばかりなる梯子あり。このあたり窟の内闊くしてかえって物すさまじ。梯の子十五、六ばかりを踏みて上れば、三十三天、夜摩天、兜率天、とうりてんなどいうあり、天人石あ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・になっていて、十六七の娘さんが丁度洗濯物をもって、そこの急な梯子を上って行くところだった。――それが真ッ下から、そのまゝ見上げられた。 その後、誰か一人が合図をすると、皆は看守に気取られないように、――顔は看守の方へ向けたまゝ、身体だけ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・先生から見れば弟子か子のような男だ。 石垣について、幾曲りかして行ったところに、湯場があった。まだ一方には鉋屑の臭気などがしていた。湯場は新開の畠に続いて、硝子窓の外に葡萄棚の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・で、種々な空想に失望したり、落胆したりして、それから空しい功名心も破れて――北村君自身の言葉で言えば「功名心の梯子から落ちて」――そうして急激な勢で文学の方へ出て来るようになったのである。北村君は石坂昌孝氏の娘に方る、みな子さんを娶って、二・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・二階から降りて行って梯子段の上り口から小声で佐吉さんを呼び、「あんな出鱈目を言ってはいけないよ。僕が顔を出されなくなるじゃないか。」そう口を尖らせて不服を言うと、佐吉さんはにこにこ笑い、「誰も本気に聞いちゃ居ません。始めから嘘だと思・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰という愚かな弟子の身の上にとって、ただごとに非ざる良・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・故郷の兄は私のだらし無さに呆れて、時々送金を停止しかけるのであるが、その度毎に北さんは中へはいって、もう一年、送金をたのみます、と兄へ談判してくれるのであった。一緒にいた女の人と、私は別れる事になったのであるが、その時にも実に北さんにお手数・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・風車がぴたりと停止した時、「ありがとう!」明朗な口調で青年が言った。 私もはっきり答えた。「ハバカリサマ。」 それは、どんな意味なのか、私にはわからない。けれども私は、そう言って青年に会釈して、五、六歩あるいて、実に気持がよ・・・ 太宰治 「作家の手帖」
出典:青空文庫