・・・ 歩いて行きたいと思いながら、歩いて行かないのは意気地なしばかりだ。凍死しても何でも歩いて見ろ。……」 彼は突然口調を変え Brother と僕に声をかけた。「僕はきのう本国の政府へ従軍したいと云う電報を打ったんだよ。」「それで・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結った芸者の写真が、ちゃんと鋲で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。 そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を囲んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・私は靴をぬいで、帽子とオオヴァ・コオトとを折釘にかけて、玄関から一間置いた向うにある、書斎の唐紙をあけました。これは茶の間へ行く間に、教科書其他のはいっている手提鞄を、そこへ置いて行くのが習慣になっているからでございます。 すると、私の・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・……井戸川で凍死でもさせる気だろう。しかしその言の通りにすると、蓑を着よ、そのようなその羅紗の、毛くさい破帽子などは脱いで、菅笠を被れという。そんで、へい、苧殻か、青竹の杖でもつくか、と聞くと、それは、ついてもつかいでも、のう、もう一度、明・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ この猛犬は、――土地ではまだ、深山にかくれて活きている事を信ぜられています――雪中行軍に擬して、中の河内を柳ヶ瀬へ抜けようとした冒険に、教授が二人、某中学生が十五人、無慙にも凍死をしたのでした。――七年前―― 雪難之碑はその記念だ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・その上に琉球唐紙のような下等の紙を用い、興に乗ずれば塵紙にでも浅草紙にでも反古の裏にでも竹の皮にでも折の蓋にでも何にでも描いた。泥絵具は絹や鳥の子にはかえって調和しないで、悪紙粗材の方がかえって泥絵具の妙味を発揮した。 この泥画について・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・不義を憎む事蛇蝎よりも甚だしく、悪政暴吏に対しては挺身搏闘して滅ぼさざれば止まなかった沼南は孤高清節を全うした一代の潔士でもありまた闘士でもあった。が、沼南の清節は袍弊袴で怒号した田中正造の操守と違ってかなり有福な贅沢な清貧であった。沼南社・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・「高利貸に投資するつもりか」私は皮肉った。「莫迦をいえ。金を借りるんだ」「家でも買う金が足りないのか」「からかっちゃ困るよ。闇屋に二千円借りたんだが、その金がないんだ」「二千円ぐらいの金がない君でもなかろう。世間じゃ君が・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・やっと売れたが、この金使ってしまっては餓死か凍死だと、まず阪急の切符売場で宝塚行き九十銭の切符五枚買った。夕方四時半から六時半まで切符は売止めになる。その時刻をねらって、売場の前にずらりと並んだ客に、宝塚行き一枚三円々々と触れて歩くと、すぐ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・僕は相変らずたたかれて、相変らず何くそと思って書いている。闘志で書いているようなものだ。東京の批評家は僕の作品をけなすか、黙殺することを申し合わしているようだ――と思うのは、僕のひがみだろうが、しかし、僕は酷評に対してはただ作品を以て答える・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
出典:青空文庫