・・・とお光は美しい眉根を寄せてしみじみ言ったが、「もっともね、あの病気は命にどうこうという心配がないそうだから、遅かれ早かれ、いずれ直るには違いないから気丈夫じゃあるけど、何しろ今日の苦しみが激しいからね、あれじゃそりゃ体も痩せるわ」「まあ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・美人座の拡声機だとわかると、私は急に辟易してよほど引き返そうと思ったが、同行者があったのでそれもならず、赤い首を垂れて戎橋を渡ると、思い切って美人座の入口をくぐった。 その時の本番が静子で、紫地に太い銀糸が縦に一本はいったお召を着たすら・・・ 織田作之助 「世相」
・・・もし眼玉というものが手でひっぱり出せるものなら、バセドウ氏病の女のそれのように、いやもっと瞳孔から飛び出させて、懐中電燈のように地面の上を這わせたいくらいである。佐伯は心の中で半分走っている。が、走れない。ふと見上げると、ひっそりした校舎の・・・ 織田作之助 「道」
・・・と念を押しながら、まだ十二時過ぎたばかりの時刻だったので、小僧と警察へ同行することにした。 警察では受附の巡査が、「こうした事件はすべて市役所の関係したことだから、そっちへ伴れて行ったらいいでしょう」と冷淡な態度で言放ったが、耕吉が執固・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・と思いましたが、瞳孔を見てやろうにも私は眼が悪くてはっきり解りません。「こりゃ、ヒョットすると今晩かも知れぬ、寝て居るどころでは無い」と、直ぐ家を飛び出して半丁程離れた弟の家へ行き懐中電燈を持って直ぐ来て呉れと言って、また走って帰りました。・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 十二月の三日の夜、同行のものは中根の家に集まることになっていたゆえ僕も叔父の家に出かけた、おっかさんは危なかろうと止めにかかったが、おとっさんが『勇壮活発の気を養うためだから行け』とおっしゃった。 中根へ行って見るともう人がよほど・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・そうかと云ってその後はどういう人に縁付いて、どこにその娘がどう生活しているかということも知らないばかりか、知ろうとおもう意も無いのだから、無論その女をどうこうしようというような心は夢にも持たぬ。無かった縁に迷いは惹かぬつもりで、今日に満足し・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ 書中のおもむきは、過日絮談の折にお話したごとく某々氏等と瓢酒野蔬で春郊漫歩の半日を楽もうと好晴の日に出掛ける、貴居はすでに都外故その節お尋ねしてご誘引する、ご同行あるならかの物二三枚をお忘れないように、呵々、というまでであった。 ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・この旅には私は末子を連れて行こうとしていたばかりでなく、青山の親戚が嫂に姪に姪の子供に三人までも同行したいという相談を受けていたので、いろいろ打ち合わせをして置く必要もあったからで。待ち受けた太郎からのはがきを受け取って見ると、四月の十五日・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・直次の家族は年寄から子供まで入れて六人もあった上に、熊吉の子供が二人も一緒に居たから、おげんは同行の養子の兄と共に可成賑かなごちゃごちゃとしたところへ着いた。入れ替り立ち替りそこへ挨拶に来る親戚に逢って見ると、直次の養母はまだ達者で、頭の禿・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫