段ばしごがギチギチ音がする。まもなくふすまがあく。茶盆をふすまの片辺へおいて、すこぶるていねいにおじぎをした女は宿の娘らしい。霜枯れのしずかなこのごろ、空もしぐれもようで湖水の水はいよいよおちついて見える。しばらく客という・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・まだ宵の口と思うのに、水の音と牛の鳴く声の外には、あまり人の騒ぎも聞えない。寥々として寒そうな水が漲っている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかも判らぬ。鉄橋を引返してくると、牛の声は幽かになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴って・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・其の身はかたく暮して身代にも不足なく子供は二人あったけれ共そうぞくの子は亀丸と云って十一になり姉は小鶴と云って十四であるがみめ形すぐれて国中ひょうばんのきりょうよしであった。不断も加賀染の模様のいいのなんか着せていろいろ身ぎれいにしてやるの・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・僕などは、『召集されないかて心配もなく、また召集されるような様子になったら、その前からアメリカへでも飛んで行きたいんを、わが身から進んでそないに力んだかて阿房らしいやないか? て』冷かしてやったんけど大した意気込みで不平を云うとって、取り合・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 僕の家は、病人と痩せッこけの住いに変じ、赤ん坊が時々熱苦しくもぎゃあぎゃあ泣くほかは、お互いに口を聴くこともなく、夏の真昼はひッそりして、なまぬるい葉のにおいと陰欝な空気とのうちに、僕自身の汗じみた苦悶のかげがそッくり湛っているようだ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・展覧会が開かれても、案内を受けて参観した人は極めて小部分に限られて、シカモ多くは椿岳を能く知ってる人たちであったから、今だにその画をも見ずその名をすらも知らないものが決して少なくないだろう。先年或る新聞に、和田三造が椿岳の画を見て、日本にも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・かなり目方のある斜子であったが、絵甲斐機の胴裏が如何にも貧弱で見窄らしかったので、「この胴裏じゃ表が泣く、最少し気張れば宜かった」というと「何故、昔から羽織の裏は甲斐機に定ってるじゃないか、」と澄ました顔をしていた。それから、「この頃は二子・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・それでもしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・弾丸は女房の立っている側の白樺の幹をかすって力がなくなって地に落ちて、どこか草の間に隠れた。 その次に女房が打ったが、やはり中らなかった。 それから二人で交る代る、熱心に打ち合った。銃の音は木精のように続いて鳴り渡った。 その中・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・私は何も博士の家庭に立入って批評しようとするものではないけれども、若しこれが本当の母であったならば、又本当の母でなくとも愛というものがあったならば、如何に博士が厳重に子供を叱ろうとも、それが為めに失敗する事はなかったであろう。 私はこの・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫