・・・それはハワイの写真で、汽船が沢山ならんでいる海の景色や、白い洋服を着てヘルメット帽をかぶった紳士やがあった。その紳士は林のお父さんで、紳士のたっているうしろの西洋建物の、英語の看板のかかった商店が、林の生れたハワイの家だということであった。・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ そばにならんですわって、竹ばしをけずっている母親が、びっくりしてきく。三吉は首をふって、ごまかすために自分の本箱のところへいって、小野からの手紙などとって、仕事場にもどってくる。――どうして、若い女にみられるのが、こんなにはずかしいだ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・いうご注文でありましたが、その当時は何か差支があって、――岡田さんの方が当人の私よりよくご記憶と見えてあなたがたにご納得のできるようにただいまご説明がありましたが、とにかくひとまずお断りを致さなければならん事になりました。しかしただお断りを・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・三日ほど奈良に滞留の間は幸に病気も強くならんので余は面白く見る事が出来た。この時は柿が盛になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の林が見えて何ともいえない趣であった。柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良・・・ 正岡子規 「くだもの」
○この頃は痛さで身動きも出来ず煩悶の余り精神も常に穏やかならんので、毎日二、三服の痲痺剤を飲んで、それでようよう暫時の痲痺的愉快を取って居るような次第である。考え事などは少しも出来ず、新聞をよんでも頭脳が乱れて来るという始末で、書くこと・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 所々には、水増しの時できた小さな壺穴の痕や、またそれがいくつも続いた浅い溝、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆きれだのが、一列にならんでいて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。 日が強く照るときは岩は乾いてまっ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭く象を見た。それからすばやく下を向き、何でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。 するとこんどは白象が、片脚床に・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ とがめはせぬワ、無理だとも思わぬワ、じゃが、マ、ただながめるだけの事で御あきらめなされと云わねばならん様な様子をあの精女はして居るじゃ。第三の精霊 ――第一の精霊 だれでも一度はうけるあまったるい苦しみじゃナ。そのあったかい涙をこ・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・「母はんは、苦労ばかりお仕やはっても、いい智恵の浮ばんお人やし、達やかて、まだ年若やさかい、何の頼りにもならん。 たよりにならない、母親や弟の事を思って、お君はうんざりした様な顔をした。 誰か一人、しっかりとっ附いて居て・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・「厄年や、あかん、今年やなんでも厄介にならんならん。」「そうか、四十二か、まアそこへ掛けやえせ。そして、亀山で酒屋へ這入ってたのかな?」「酒屋や、十五円貰うてたのやが、お前、どっと酒桶へまくれ込んでさ。医者がお前もう持たんと云い・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫