・・・魴ほうぼうの鰭は虹を刻み、飯鮹の紫は五つばかり、断れた雲のようにふらふらする……こち、めばる、青、鼠、樺色のその小魚の色に照映えて、黄なる蕈は美しかった。 山国に育ったから、学問の上の知識はないが……蕈の名の十やら十五は知っている。が、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・一輪の桔梗の紫の影に映えて、女はうるおえる玉のようであった。 その手が糸を曳いて、針をあやつったのである。 縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出した。挨拶は済ましたが、咄嗟のその早さに、でっぷり漢と・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・……六畳は立籠めてあるし、南風気で、その上暖か過ぎたでしょう。鬢の毛がねっとりと、あの気味の悪いほど、枕に伸びた、長い、ふっくりしたのどへまつわって、それでいて、色が薄りと蒼いんですって。……友染の夜具に、裾は消えるように細りしても――寝乱・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・この大南風の勢いでは、山火事になって、やがて、ここもとまで押し寄せはしまいかと案じますほどの激しさで、駈けつけるものは駈けつけます、騒ぐものは騒ぐ。私なぞは見物の方で、お社前は、おなじ夥間で充満でございました。 二百十日の荒れ前で、残暑・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。 破壊後の生活は、総ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。 自分は一日大道を闊歩しつつ、突然とし・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・り人の悪口が多いのだと思うていたところ、この上もない良縁と思う今度の縁談につき、意外にもおとよが強固に剛情な態度を示し、それも省作との関係によると見てとった父は、自分の希望と自分の仕合せとが、根柢より破壊せられたごとく、落胆と憤懣と慚愧と一・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と云う息の段々弱って沢の所にたおれたのを押えて止をさし死がいを浮藁の下にしずめそうっと家にかえったけれ共世間にはこんな事を知って居る人は一人もなくその後は家は栄えて沢山の牛も一人で持ち田畠も求めそれ綿の花盛、そら米の秋と思うがままの月日を重・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿岳の一家及び環境を考うるのは明治の文化史上頗る興味がある。 加うるに椿岳の生涯は江戸の末李より明・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られている。然るに喜兵衛が野口家の後見となって身分が定ってから、故郷の三ヶ谷に残した子の十一歳となったを幸手・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨は恐らく最後のシャレの吐き栄えをしたのを満足して、眼と唇辺に会心の“Sneer”を泛べて苔下にニヤリと脂下ったろう。「死んでまでも『今なるぞ』節の英雄と同列したるは歌曲を生命とする緑雨一代の面目に候」とでも冥土から端書が来る処だった。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
出典:青空文庫