・・・お父さんもお母さんもはたらき者だったが、私の家はひどく貧しかった。何故貧しかったのか、私は知らない。きょうだいが沢山あって、男の子では私が一ばん上だった。 こんにゃくは町のこんにゃく屋へいって、私がになえるくらい、いつも五十くらい借りて・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 友達が手酌の一杯を口のはたに持って行きながら、雪の日や飲まぬお方のふところ手と言って、わたくしの顔を見たので、わたくしも、酒飲まぬ人は案山子の雪見哉と返して、その時銚子のかわりを持って来たおかみさんに舟・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・といいながら挙げたる手をはたと落す。かの腕輪は再びきらめいて、玉と玉と撃てる音か、戛然と瞬時の響きを起す。「命は長き賜物ぞ、恋は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男はさすがに大胆である。 女は両手を延ばして、戴ける冠を左右より抑えて「・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・人として平安を好むは、これをその天性というべきか、はた習慣というべきか。余は宗教の天然説を度外視する者なれば、天の約束というも、人為の習慣というも、そのへんはこれを人々の所見にまかして問うことなしといえども、ただ平安を好むの一事にいたりては・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・昔は Monsieur de Voltaire, Monsieur de Buffon だなんと云って、ロオマンチック派の文士が冷かしたものだが、ピエエルなんぞはたしかにあのたちの貴族的文士の再来である。 オオビュルナン先生は最後に書い・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ば常の心の汚たるを洗ひ浮世の外の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔源朝臣慶永元治二年衣更著末のむゆか、館に帰りてしるす 曙覧が清貧に処して独り安んずるの様、はた春岳が高貴の身をもってよく士に下るの・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・とりのぼせぬまでにうかれるのも春は良いものじゃワお身の唇はその様にうす赤くて――はたから見ても面白い話が湧いて来そうに見える。口あくと歯にしみる風は願うても吹いては居ぬ、サ、今のあてものでも云って見なされ下らない様でも面白いものじゃ。第・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 唐紙のあっちからは、はたきと箒との音が劇しく聞える。女中が急いで寝間を掃除しているのである。はたきの音が殊に劇しいので、木村は度々小言を言ったが、一日位直っても、また元の通りになる。はたきに附けてある紙ではたかずに、柄の先きではたくの・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・年ごろはたしかに知れないが眼鼻や口の権衡がまだよくしまッていないところで考えればひどく長けてもいないだろう。そのくせに坐り丈はなかなかあッて、そして(少女の手弱腕首が大層太く、その上に人を見る眼光が……眼は脹目縁を持ッていながら……、難を言・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・西行はために健脚となり信長は武骨な舞いを舞った。神農もソクラテスもカントもランスロットもエレーンも乃至はお染久松もこの問題に触れた。釈尊やイエスはこれを解いて、多くの精霊を救う。この救われたる衆生が真の人生を現わしたか。救われずして地獄の九・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫