・・・電燈の真下の電柱にいつもぴったりと身をつけているのである。しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中を掻く模ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにも五月蠅そうにそれをやるのである。私は・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・支那人は、錻力で特別に作らせた、コルセット様の、ぴったりと人間の胴体に合う中が空洞となった容器に、酒精を満し、身肌につけて、上から服を着、何食わぬ顔で河岸からあがってきた。酒精に水をまぜて、火酒として売りつけた。資本主義時代から、飲んだくれ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・佳い締り金物と見えて音も少く、しかもぴったりと厳重に鎖されたようだった。雲の余りの雪は又ちらちらと降って来た。女は門の内側に置いてあった恐ろしい大きな竹の笠、――茶の湯者の露次に使う者を片手で男の上へかざして雪を避けながら、片手は男の手を取・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・の人格を侮辱することを苦しく思うことはもっと彼自身にとってぴったりした、生えぬきの気持からだった。 友だちといっしょにこういう処にくることがあった。が、彼はしまいまで何もせずに帰る。そんな時彼は友だちに「童貞の古物なんかブラ下げているな・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
ライン河から岸へ打ち上げられた材木がある。片端は陸に上がっていて、片端は河水に漬かっている。その上に鴉が一羽止まっている。年寄って小さくなった鴉である。黒い羽を体へぴったり付けて、嘴の尖った頭を下へ向けて、動かずに何か物思に沈んだよう・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴったり合って、戸がすらりと開きました。 ウイリイはすぐに中へはいって見ました。すると、その中には、きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。ちゃん・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・それを知っていながら、嘉七は、わざとかず枝にぴったり寄り添うて人ごみの中を歩いた。自身こんなに平気で歩いていても、やはり、人から見ると、どこか異様な影があるのだ。嘉七は、かなしいと思った。三越では、それからかず枝は、特売場で白足袋を一足買い・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・彼の音信に依れば、古都北京は、まさしく彼の性格にぴったり合った様子で、すぐさま北京の或る大会社に勤め、彼の全能力をあますところなく発揮して東亜永遠の平和確立のため活躍しているという事で、私は彼のそのような誇らしげの音信に接する度毎に、いよい・・・ 太宰治 「佳日」
・・・深山幽谷の中に置かれた発電所は、われわれの眼にはやはりその環境にぴったりはまってザハリッヒな美しさを見せている。例えば悪趣味で人を呼ぶ都会の料理屋の造り庭の全く無意味なこけおどしの石燈籠などよりも、寸分無駄のない合理的な発電所や変圧所の方が・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んで、その見る景色、踏む大地と自分とが直接にぴったり触れ合う時にのみ感じ得られる鋭い感覚を味わわなければなんにもならないという人がある。こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避け・・・ 寺田寅彦 「案内者」
出典:青空文庫