・・・総ての不治の創の通りに、恋愛の創も死ななくては癒えません。それはどの恋愛でも傷けられると、恋愛の神が侮辱せられて、その報いに犠牲を求めるからでございます。決闘の結果は予期とは相違していましたが、兎に角わたくしは自分の恋愛を相手に渡すのに、身・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、女の身を投げて死んだという井戸のそばへいって、深く、深く、わびられますと、その井戸のそばには、濃紫のふじの花が、いまを盛りに咲き乱れていたのであります。――一九二一・一二作――・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・車窓に富士が見えた。「ああ、富士山!」 寿子は窓から首を出しながら、こうして汽車に乗っている間は、ヴァイオリンの稽古をしなくてもいい、今日一日だけは自分は自由だと思うと、さすがに子供心にはしゃいで、「富士は日本一の山……」 ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は言った。 富士がよく見えたのも立春までであった。午前は雪に被われ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・十一月四日――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」同十八日――「月を蹈んで散歩す、青煙地を這い月光林に砕く」同十九日――「天晴・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・北より南へ富士河、西より東へ早河、此は後也。前に西より東へ波木井河の中に一つの滝あり、身延河と名づけたり。中天竺の鷲峰を此処に移せるか。はた又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ。此の四山四河の中に手の広さ程の平らかなる処あり。爰に庵室を結んで天雨・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 副官が這入って来ると、彼は、刀もはずさず、椅子に腰を落して、荒い鼻息をしながら、「速刻不時点呼。すぐだ、すぐやってくれ!」「はい。」「それから、炊事場へ露西亜人をよせつけることはならん。残飯は一粒と雖も、やることは絶対にな・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・その規約によると、誠心誠意主人のために働いた者には、解雇又は退隠の際、或は不時の不幸、特に必要な場合に限り元利金を返還するが、若し不正、不穏の行為其他により解雇する時には、返還せずというような箇条があった。たいてい、どこにでも主人が勝手にそ・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。 十七日、朝早く起き出でたるに足傷みて立つこと叶わず、心を決して車に乗じて馳せたり。郡山、好地、花巻、黒沢尻、金が崎、水沢、前沢を歴てようやく一ノ関に着す。こ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・葛城の神を駆使したり、前鬼後鬼を従えたり、伊豆の大島から富士へ飛んだり、末には母を銕鉢へ入れて外国へ行ったなどということであるが、余りあてになろう訳もない。小角は孔雀明王咒を持してそういうようになったというが、なるほど孔雀明王などのような豪・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫