・・・して見ればこの人の薨去は文永四年で北条時宗執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって、げほうといえば直に世人がどういうものだと解することが出来るほど一般に知られていたのである。内典外典というが如く、げほうは外法で、外道というが・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・「正木先生は大分漢書を集めて被入っしゃいます――法帖の好いのなども沢山持って被入っしゃる」と先生は高瀬に言った。「何かまた貴方も借りて御覧なすったら可いでしょう」「ええ、まあボツボツ集めてます……なんにも子供に遺して置く物もありませ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・この谷間は割合に豊饒で、傾斜の上の方まで耕されている。眼前に連なる青田は一面緑の波のように見える。士族地からここへ通って来るということも先生方を悦ばせた。あの樹木の蔭の多い道は大尉の住居からもさ程遠くはなかった。 その翌日から、桜井先生・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・宿の二階から毎日見下ろして御なじみの蚕種検査の先生達は舳の方の炊事場の横へ陣どって大将らしき鬚の白いのが法帖様のものを広げて一行と話している。やっと出帆したのが十二時半頃。甲板はどうも風が寒い。艫の処を見ると定さんが旗竿へもたれて浜の方を見・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・たとえば、五穀の豊饒を祈り、風水害の免除をいのり、疫病の流行のすみやかに消熄することを乞いのみまつったのである。かくして民族の安寧と幸福を保全することが為政者の最も重要な仕事の少なくも一部分であったのである。 この重要な仕事に連関して天・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・鴨長明の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである。 日本において科学の発達がおくれた理由はいろいろあ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・「忰は水練じゃ、褒状を貰ってましたからね。何でも三月からなくちゃ卒業の出来ねえところを、宅の忰はたった二週間で立派にやっちまった。それで免状をもらって、連隊へ帰って来ると、連隊の方でも不思議に思って、そんな箆棒な話がある訳のもんじゃねえ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・郡の小学校が何十か集って、代表児童たちが得意の算盤とか、書き方とか、唱歌とか、お話とかをして、一番よく出来た学校へ郡視学というえらい役人から褒状が渡されるのだった。そのとき私たちは、林が英語の本を読み、私が通訳するということであった。 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・維摩が方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃の裏に潜んで、われを尽大千世界の王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばら・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ちょうど金石文字や法帖と同じ事で、書を見ると人格がわかるなどと云う議論は全くこれから出るのであろうと考えられます。だから、この技巧はある程度の修養につれて、理想を含蓄して参ります。しかし前種の技巧、すなわち物に対する明暸なる知覚をそのままに・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫