・・・ 窟禅定も仕はてたれば、本尊の御姿など乞い受けて、来し路ならぬ路を覚束なくも辿ることやや久しく、不動尊の傍の清水に渇きたる喉を潤しなどして辛くも本道に出で、小野原を経て贄川に憩う。荒川橋とて荒川に架せる鉄橋あり。岸高く水遠くして瀬をなし・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・も一歩進めていって見れば、京伝や三馬や一九や春水は、常に馬琴が端役として冷遇した人物、即ちわずかに刷毛ついでに書きなぐったような人物を叮嚀に取扱って、御客様にも本尊様にもして、そして一篇なり一部なりを成して居る傾きがあります。磯九郎ばかりで・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・宗までも呑吐して、諸国への使は一向坊主にさせているところなど、また信玄一流の大きさで、飯綱の法を行ったかどうか知らぬが、甲州八代郡末木村慈眼寺に、同寺から高野へ送った武田家品物の目録書の稿の中に、飯縄本尊并に法次第一冊信玄公御随身とあること・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ なるほど、人間、いな、すべての生物には、自己保存の本能がある。栄養である。生活である。これによれば、人はどこまでも死をさけ、死に抗するのが自然であるかのように見える。されど、一面にはまた種保存の本能がある。恋愛である。生殖である。これ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 成程人間、否な総ての生物には、自己保存の本能がある、栄養である、生活である、之に依れば人は何処までも死を避け死に抗するのが自然であるかのように見える、左れど一面には亦た種保存の本能がある、恋愛である、生殖である、之が為めには直ちに自己・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 女房は自分の名誉を保存しようとは思っておらぬらしい。たったさっきまで、その名誉のために一命を賭したのでありながら、今はその名誉を有している生活と云うものが、そこに住う事も、そこで呼吸をする事も出来ぬ、雰囲気の無い空間になったように、ど・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・家内にも言いきかせ、とにかく之は怪しいから、そっくり帯封も破らずそのままにして保存して置くよう、あとで代金を請求して来たら、ひとまとめにして返却するよう、手筈をきめて置いたのである。そのうちに、新聞の帯封に差出人の名前を記して送ってくるよう・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・これに対する著者の論議はわざと大部分を省略するが、しかし彼の面目を伝える種類の記事は保存することにする。 アインシュタインはヘルムホルツなどと反対で講義のうまい型の学者である。のみならず講義講演によって人に教えるという事に興味と熱心をも・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・その時に使われた鉄管の標本が、まだ保存されているはずである。 月島丸が沈没して、その捜索が問題となった時に、中村先生がいろいろの考案をされて、当時学生であったわれわれがお手伝いをして予備実験をやった。なんでも大きなラッパのようなものをこ・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・世の中には古社寺保存の名目の下に、古社寺の建築を修繕するのではなく、かえってこれを破壊もしくは俗化する山師があるように、邦楽の改良進歩を企てて、かえって邦楽の真生命を殺してしまう熱心家のある事を考え出す。しかし先生はもうそれらをば余儀ない事・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫