・・・森をもって分つ村々、色をもって分つ田園、何もかもほんのり立ち渡る霞につつまれて、ことごとく春という一つの感じに統一されてる。 遥かに聞ゆる九十九里の波の音、夜から昼から間断なく、どうどうどうどうと穏やかな響きを霞の底に伝えている。九十九・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ そう云って莞爾笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。 お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて、見ちがえるほど美しかった。 ほかにも芸者のはいりに来ているのは多いが、いつも目に立つのはこの女がこの男と相対してふざけたり、笑ったりしていたことである。はじめはこの男をひいきのお客ぐら・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・西の方の空には、日が沈んだ後の雲がほんのりとうす赤かった。さよ子は、電車の往来しているにぎやかな町にきましたときに、そのあたりの騒がしさのために、よい音色を聞きもらしてしまいました。これではいけないと思って、ふたたび静かなところに出て耳を澄・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・そして、遠く、かなたには、島の影がほんのりと浮かんでいたのであります。 船には、たくさんの金銀が積み込んでありましたから、その重みでか、船は沖へ出てしまって、もう、陸の方がかすんで見られなくなった時分から、だんだんと沈みかけたのでした。・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・少年は、あちらの空のうす黄色く、ほんのりと色づいたのが悲しかったのです。 雨になるせいか、つばめが、町の屋根を低く飛んでいました。このとき、少年は、疲れた足を引きずりながら、まだ家の内には、燈火もついていない、むさくるしい傍の軒の低い家・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ 赤く西の山に日が沈んでしまって、ほんのりと紅い雲がいつまでも消えずに、林の間に残っていましたが、それすらまったく消えてしまいました。夜の空は深い沼の中をのぞくように青黒く見えました。そのうちに、だんだん星の光がたくさんになって見えてき・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・港の方は、ほんのりとして、人なつかしい明るみを空の色にたたえていたけれど、盲目の弟には、それを望むこともできませんでした。 ただ、おりおり、生温かな風が沖の方から、闇のうちを旅してくるたびに、姉の帰るのを待っている弟の顔に当たりました。・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・その枝は粗、その葉は大、秋が来てもほんのりとは染まらないで、青い葉は青、枯れ葉は枯れ葉と、乱雑に枝にしがみ着いて、風吹くとも霜降るとも、容易には落ちない。冬の夜嵐吹きすさぶころとなっても、がさがさと騒々しい音で幽遠の趣をかき擾している。・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・室隅には炭火が顔は見せねど有りしと知られて、室はほんのりと暖かであった。 これだけの家だ。奥にこそ此様に人気無くはしてあれ、表の方には、相応の男たち、腕筋も有り才覚も有る者どもの居らぬ筈は無い。運の面は何様なつらをして現われて来るものか・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫