・・・彼等の考え出すいろいろな革新は僕の周囲に死の機会を増し、彼等の説くところは僕を死に導き、または彼等の定める法律は僕に死を与えるのだ。」 織田君を殺したのは、お前じゃないか。 彼のこのたびの急逝は、彼の哀しい最後の抗議の詩であった。・・・ 太宰治 「織田君の死」
・・・新しい苦痛が増した。 床近く蟋蟀が鳴いていた。苦痛に悶えながら、「あ、蟋蟀が鳴いている……」とかれは思った。その哀切な虫の調べがなんだか全身に沁み入るように覚えた。 疼痛、疼痛、かれはさらに輾転反側した。 「苦しい! 苦しい・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・また他の人と石炭のエネルギーの問題を論じている中に、「仮りに同一量の石炭から得られるエネルギーがずっと増したとすれば、現在より多数の人間が生存し得られるかもしれないが、そうなったとした場合に、それがために人類の幸福が増すかどうかそれは疑問で・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ただ一つのおもしろかったのは、麻糸か何かの束を黄蝋で固めた松明を買わされて持って行ったが、噴気口のそばへ来ると、案内者はそれに点火して穴の上で振り回した。そして「蒸気の噴出が増したから見ろ」と言うのだが、私にはいっこうなんの変わりもないよう・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・のみならず麻糸の場合よりはすべての事柄が更に複雑である事は云うまでもない。 由来物理学者はデターミニストであった。従ってすべての現象を決定的に予報しようと努力して来た。しかし多分子的現象に遭遇して止むを得ず統計的の理論を導入した。統計的・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・やっとその一匹を箒でおさえつけたのを私が火箸で少し引きずり出しておいて、首のあたりをぎゅうっと麻糸で縛った。縛り方が強かったのですぐに死んでしまった。その最期の苦悶を表わす週期的の痙攣を見ていた時に、ふと近くに読んだある死刑囚の最後のさまが・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 西洋人の曲馬師らしいのが居てそれが先ずセロを弾く、それから妙な懸稲のようにかけ渡した麻糸を操るとそれがライオンのように見えて来る。そのうちにライオンとも虎ともつかぬ動物がやって来て自分に近寄り、そうして自分の顔のすぐ前に鼻面を接近させ・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・徒に拙稿の紙数を増して売文の銭を貪らんがためではない。わたくしは此のたびの草稿に於ては、明治年間の東京を説くに際して、寡聞の及ぶかぎり成るべく当時の人の文を引用し、之に因って其時代の世相を窺知らしめん事を欲しているのである。 松子雁の饒・・・ 永井荷風 「上野」
・・・のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が年々広くなる。 要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわち・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・それがまた可笑しく、一層チャンチャン坊主の憐れを増し、見物人を悦ばせた。だが心ある人々は、重吉のために悲しみ、眉をひそめて嘆息した。金鵄勲章功七級、玄武門の勇士ともあろう者が、壮士役者に身をもち崩して、この有様は何事だろう。 次第に重吉・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫