・・・ と尋ねて、一寸そこへ来て立った高瀬と一諸に汽車を待つ客の側に腰掛けた。 極く服装に関わない学士も、その日はめずらしく瀟洒なネクタイを古洋服の胸のあたりに見せていた。そして高瀬を相手に機嫌よく話した。どうかすると学士の口からは軽い仏・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そんなにしていて獲ものを待つのだわ。水先案内が、人の難船するのを待っていて自分の収入にするのと同じ事だわ。だがね、やっぱりそのお前さんは可哀そうな女なのね。まあ、手負いのようなものだわ。手負いが自分の身をはかなむように、お前さんも自分の身を・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・木の葉が落ちつくして、こがらしのふき始める秋まで待つ事はたえ切れなかったのです。 おかあさんは鳩の歌に耳をかたむけて、その言うことばがよくわかっていたのですから、この屋敷を出て行くにつけても行く先が知れていました。 重い手かごを門の・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・いわんや、芸の上の進歩とか、大飛躍とかいうものは、ほとんど製作者自身には考えられぬくらいのおそろしいもので、それこそ天意を待つより他に仕方のないものだ。紙一重のわずかな進歩だって、どうして、どうして。自分では絶えず工夫して進んでいるつもりで・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・逃げれば逃げられる係蹄に自分で一生懸命につかまって捕われるのを待つのである。 ごちそうに出した金米糖のつぼにお客様が手をさし込んだらどうしても抜けなくなったのでしかたなく壺をこわして見たら拳いっぱいに欲張って握り込んでいたという笑話があ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ やがて三たび馬の嘶く音がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚りて、かの人の出るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなる・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 何十年も、殆んど毎日のように、導火線に火を移す彼等であっても、その合図を待つ時には緊張しない訳には行かなかった。「恐ろしいもんだ。俺なんざあ、三十年も銅や岩ばっかり噛って来たが、それでも歯が一本も欠けねえ」「岩は、俺たちの米の・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。 この全編の大略を概してい・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・いっそこのまま帰ろうかとも思うて門の内で三人相談して居たが、妻君の勧めもあるから、遂に坐敷に上りこんで待つ事にした。やがて車の音がして主人は息をきらして帰って来られた。これは妻君が方々へ使を出して主人の行先を尋ねられたためであった。 容・・・ 正岡子規 「車上の春光」
出典:青空文庫