・・・赤毛は、卑劣である。無法にもポチの背後から、風のごとく襲いかかり、ポチの寒しげな睾丸をねらった。ポチは、咄嗟にくるりと向きなおったが、ちょっと躊躇し、私の顔色をそっと伺った。「やれ!」私は大声で命令した。「赤毛は卑怯だ! 思う存分やれ!・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・世人はひとしく仙之助氏の無辜を信じていたし、当局でも、まさか、鶴見仙之助氏ほどの名士が、愚かな無法の罪を犯したとは思っていなかったようであるが、ひとり保険会社の態度が頗る強硬だったので、とにかく、再び、綿密な調査を開始したのである。 父・・・ 太宰治 「花火」
・・・実際弱虫の泣虫にはちがいなかったが、それでも曲った事や無法な事に負かされるのは大嫌いであった。無理の圧迫が劇しい時には弱虫の本性を現してすぐ泣き出すが、負けぬ魂だけは弱い体躯を駆って軍人党と挌闘をやらせた。意気地なく泣きながらも死力を出して・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・そんな無法があるものかと力味でいる人は死ぬばかりであります。だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もので、律義な連中はとくの昔に、汽車に引かれたり、川へ落ちたり、巡査につかまったりして、ことごとく死んでしまったと御承知になれば大した間・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。 こうした弊害はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとす・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・単に夫なればとて訳けも分らぬ無法の事を下知せられて之に盲従するは妻たる者の道に非ず。況して其夫が立腹癇癪などを起して乱暴するときに於てをや。妻も一処に怒りて争うは宜しからず、一時発作の病と視做し一時これを慰めて後に大に戒しむるは止むを得ざる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 今世間の喋々を聞けば、一方の説にいわく、人民無智無法なるがゆえに政府これに権力を附与すべからずと。また一方はいわく、政府はさまざまの事に手を出し、さまざまの法をつくりて人民の働をたくましゅうせしめずと。いわゆる水掛論なり。然りといえど・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒も亦悪む可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕す可きなれども、苟も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益なり、到底その意に任せて左右せしむ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・あるいはまた、家道紊れて取締なく、親子妻妾相互いに無遠慮狼藉なるが如きものにても、その主人は必ず特に短気無法にして、家人に恐れられざるはなし。即ち事の要用に出でたるものにして、いやしくも家風に厳格を失うか、もしくは主人に短気無法の威力なきに・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓まで、一・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
出典:青空文庫