・・・甲府からバスに乗って御坂峠を越え、河口湖の岸を通り、船津を過ぎると、下吉田町という細長い山陰の町に着く。この町はずれに、どっしりした古い旅籠がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである。姉は二十二、妹は十九。ともに甲府の女学校を卒業してい・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・西洋くさい文明が田舎のすみずみまで広がって行っても、盆の月夜には、どこかの山影のような所で、昔からの大和民族の影が昔の踊りを踊っているのではあるまいかと。 盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれは・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・如何に鉄道が拡がっても製糸工場が増しても、まだまだそこらの山陰や川口にはこんな浴場はいくらも残っているだろう。 こんな取り止めも付かぬ事を色々な人に話してみた。 二、三の先輩は怒ったような顔をし、あるいは苦笑して何とも云わなかっ・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・もうすこし不明瞭なのでは「かえるやら山陰伝う四十から」の次に「むねをからげる」があり、「だだくさ」の次に「いただく」があり、「いさぎよき」の次に「よき社」がありするのも同様である。こういう無意識の口移りは付け句には警戒されたのが三句目四句目・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・上海の市中には登るべき岡阜もなく、また遠望すべき山影もない。郊外の龍華寺に往きその塔に登って、ここに始めて雲烟渺々たる間に低く一連の山脈を望むことができるのだと、車の中で父が語られた。 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み上流の空遥に筑波の山影を眺める時、今なお詩興のおのずから胸中に満ち来るを禁じ得ない。そして恨然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。 震災の後わたくし・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・「白い帆が山影を横って、岸に近づいて来る。三本の帆柱の左右は知らぬ、中なる上に春風を受けて棚曳くは、赤だ、赤だクララの舟だ」……舟は油の如く平なる海を滑って難なく岸に近づいて来る。舳に金色の髪を日に乱して伸び上るは言うまでもない、クララであ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・とある山陰の杉の木立が立っておるような陰気な所で其木立をひかえて一つの焼き場がある。焼き場というても一寸した石が立っておる位で別に何の仕掛けもない。唯薪が山のように積んである上へ棺を据えると穏坊は四方から其薪へ火をつける。勿論夜の事であるか・・・ 正岡子規 「死後」
・・・例えば帰る雁田毎の月の曇る夜に菜の花や月は東に日は西に春の夜や宵曙の其中に畑打や鳥さへ鳴かぬ山陰に時鳥平安城をすぢかひに蚊の声す忍冬の花散るたびに広庭の牡丹や天の一方に庵の月あるじを問へば芋掘りに狐火・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫