・・・もしかような時にせめて山岡鉄舟がいたならば――鉄舟は忠勇無双の男、陛下が御若い時英気にまかせやたらに臣下を投げ飛ばしたり遊ばすのを憂えて、ある時イヤというほど陛下を投げつけ手剛い意見を申上げたこともあった。もし木戸松菊がいたらば――明治の初・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・もちろんパラソルにかくれた顔がだれだからというのではなくて、若い女一般にたいしてはずかしい。乞食のような風ていも、竹びしゃくつくりもはずかしい。「けがしたかい?」 そばにならんですわって、竹ばしをけずっている母親が、びっくりしてきく・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ わたくしの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎もバナナも桜の実も、口にしたことが稀であった。むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜、真桑瓜、柿、桃、葡萄、梨、粟、枇杷、蜜柑のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・以前奉公して居た頃も稀には若い衆に跟いて夜遊びに出ることもあった。彼も他人のするように手拭かぶって跟いて行った。帰る時にはぽさぽさとして独であった。若い衆はみんな自分の女を見つけると彼を棄ててそこらの藪や林へこそこそと隠れて畢う。太十はどの・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・と話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入って来た気色はない。「隣だ」と髯なしが云う。やがて渋蛇の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男らしい。三人は無言のまま顔を見合せて微かに笑う。「あれは画じゃな・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ ビール箱の蓋の蔭には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまま仰向きに横たわっていた。彼女は腐った一枚の畳の上にいた。そして吐息は彼女の肩から各々が最後の一滴であるように、搾り出されるのであった。 彼女の肩の辺から、枕の方へかけて・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・そして、窓の中から見下して居た若い兵士の、黒い黒い顔の、それでも優しいそうな其眼に、一杯涙が見えて居ました。『……鶴さん、些っとも未練残さねえで、えれえ働きをしてね、人に笑われねえで下せえよ。』 と、眼には涙がほろほろと溢れてお居で・・・ 広津柳浪 「昇降場」
この一編は、頃日、諭吉が綴るところの未定稿中より、教育の目的とも名づくべき一段を抜抄したるものなれば、前後の連絡を断つがために、意をつくすに足らず、よってこれを和解演述して、もって諸先生の高評を乞う。 教育の・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・要するにどの女でも若い盛りが過ぎて一度平静になった後に、もうほどなく老が襲って来そうだと思って、今のうちにもう一度若い感じを味ってみたいと企てる、ちょいとした浮気の発動が、この女の上にもめぐって来ているのだと認めたのである。あの手紙にはこの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・己も若い時はあったに違いないが、その時は譬えば子供のむしった野の花が濁った流の上に落ちて、我知らず流れるように、若い間の月日は過ぎ去って、己はついぞそれを生活だと思った事は無い。それから己は生活の格子戸の前に永らく立っていたものだ。そして何・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫