・・・そうして、たまを にぎった 手を たかく あげると、みんなが いっしょに ブウー、と サイレンの まねを しました。その こえは、ほんとうの サイレンのように とおくまで ひびきました。 これを ききつけて、あちらから、きみ子さんと か・・・ 小川未明 「秋が きました」
・・・尤も電燈を消さなかったのは風呂屋の主人であるが、それを消させなかったのは浴客である。サイレンが鳴り、花火が上がり、半鐘が鳴っている最中に踵を接して暖簾を潜って這入って行く浴客の数は一人や二人ではなかったのである。風呂屋の主人は意外な機会に変・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・敵の飛行機から毒瓦斯の襲撃を受けたときの防禦演習をしているのだという。サイレンが鳴ると思ったら眼が覚めた。汽車はもう仙台へ着いていた。 帰宅してみると猫が片頬に饅頭大な腫物をこしらえてすこぶる滑稽な顔をして出迎えた。夏中ぽつりぽつり咲い・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・やがて夜も明け放れてから知らず知らずまた眠に堕ち、サイレンの声を聞いて初て起き出る。このような気儘な一夜を送ることのできるのも、家の中に気がねをしたり、または遠慮をしなければならぬ者のいないがためである。妻子や門生のいないがためである。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ そのうち防空演習がはじまった。サイレンが何度も気味わるく太く長く空をふるわして鳴りわたる。 すると、一秒ほどおくれて、その犬がきっと遠吠えをはじめた。サイレンの音よりちょっと高いだけで、終るのも、終りに近づいて音程の下ってゆく調子・・・ 宮本百合子 「犬三態」
或瞬間 正午のサイレンが鳴ってよほど経つ 少し空腹 工事場でのこぎりの音 せわしい技巧的ななめらかな小鳥のさえずり、いかにも籠の小鳥らしい美しさで鳴く とつぜん ガランガランと ・・・ 宮本百合子 「心持について」
・・・ 午後 サイレンはついききおとしたが 方々の寺で鐘がなり、それに合わせるように 裏通りで 豆腐屋のラッパがしきりに鳴る、そういうあたりの活気をひろ子は 物珍しく感じた。 頭をあげて そとを見た。 曇っ・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・毎朝、かの歴史的なプチロフ工場のサイレンで目を醒すシャポワロフが、辛うじていくらかでも自由主義的な同時代の著作物に近づくことが出来たのは、何という愉快な皮肉であろう! 労働者が公然読むことを許されている『グラジュダニン』や『ルッチ』のような・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 雀の声、チュ チュ 雨はやんでいる 正午のサイレンがなったと思うと 珍しく どこかで寺の鐘の音が二つした すると 大観音の方で 一つ……もう一つ。 不思議な音の錯綜 毎日 鐘はついていたのかしら? 曇天・・・ 宮本百合子 「窓からの風景(六月――)」
出典:青空文庫